観劇+αの日々
このくらいにしておきます。
ぐだぐだと「レディベス」について考えていますが、たぶん一番引っかかってるのが「ベス」はいったい何者だったかという話。
ふっと、「あ、つまり"レディ・ベス"なんだ」と気づいた。
タイトルがそもそもという話でなく、「ベス」が誰だったかの話。

ミュージカルではばっさりカットされていますが、なぜベスが「レディ」と呼ばれるかというと、アンが不義を犯した罪で処刑されたから。
ベスは王女である自分に誇りを持っていた…と考えるとちょっと物語の見え方がちょっと変わってきます。

王位継承者として勉学を続けているベス。
彼女は自分を王女だと思っているのに、周りは「レディ」扱いする。
そのため、自分の父親が国王であることを支えにしている(父を尊敬しているから父にこだわるのでなく、父親の血統しか自分が「何者であるか」を証明できない)。
また、それゆえに自分が王女でなくなるきっかけとなった母を憎んでいる。
ロビンと出会い、ベスは外の世界を、なにものにもとらわれな生き方があることを彼女は知る。
メアリーに否定されてもベスは自分が王女であるという誇りを譲ることはない。
しかしロンドン塔で母が無実であったかもしれないことに気づいたベスは、今まで誇りに思っていた父が無実の罪であった母を投獄し処刑したことに気づく。
父親を誇りに思っていたベスの心は揺らぐ。
父親のことを疑うようになったベスは、自分には父親の血筋を生きる…すなわち王女として生きる道だけでなく、一人の人間として自由に生きること、ロビンと生きる道があることに気づく。
王の娘として生きるか、自由に自分のままに生きるかベスは迷う。
しかし、永遠に理解することがないと思っていたメアリーの背負っていた重荷や自分と同じ苦しみを持っていたことを知り、ベスにとって「自分のままに生きること」は女王になることだと思い至り、彼女は自分の意志で王座につく。

では「レディ・ベス」とはなんなのか。
偉大なる女王エリザベス1世が女王でない、自分が何者であるかを知らない、一人の人間、すなわち「レディ」であったときの物語…。

というふうに、メインテーマを決めて物語を振り返ってみたら結構すっきりしました。
もちろん元の台本どころか、1回しか観劇しておりませんので現行の台本もよくわかってません。
ですから、フェリペの部分とかすっぽり抜け落ちてます(が、ただの便利なわき役ですんで、彼についてはそんなにつっこまなくてもいいと思います)。

また、「レディ・ベス」の意味は説明しようとすれば数分で終わるものですし、彼女が「王女であるはずなのに庶子扱いされている」というのは演技の方向性でいくらでも示せるものです。
そういう意味で、脚本をあまりいじらなくっても話に筋を通すのは可能ではないかと思った次第です。
(クンツェさんの言っていた「青春物語」という言葉とも矛盾しません)

というわけで個人的にとてもすっきりした話でした。

…ただ、やっぱり原詩は読みたいです。
英語だと読む気力が持続するか謎なんですが…。
クンツェさんの作品でまじめに訳してるのってレベッカとTdVくらいですが(エリザベートやモーゼはほぼ流し読み)、どうも情報量が少ない気がするんですよね…。
訳していて感じた「ああ、クンツェさんらしいなあ」というのもない。
翻訳って結構細かな機微で方向性が大きく変わってくるので、原詩がどうだったか、気になります。

ちなみに、公演を見た限りでは脚本に一本の筋が通ってなくてすごく引っかかるのですが、実際のところ、「本当はもっと長い台本だった」という何度か聞いたことのある説が事実だとするとちょっと納得がいきます。
もちろん、削るべきは削るべきです。
むしろもっと削るべきです、3時間以内に収まるように。
ただ、「日本人には難しい(わかりにくい)」「暗すぎて商業的に向かない」という部分を軸として、テーマをなににするかをちゃんと絞り込まずに台本を削り、演技を役者に丸投げしたとすると、私が見た「レディベス」になる気がするんです。
…クンツェさんの元台本を削るところからもう一度やり直して作られた作品が見たいな…。

ゆず
2014/09/21(Sun) 23:00:09

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