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Maximilian Mannのこと(簡易)
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すこしずつ明らかになってきているツアーエリザベートのキャスト。正直、公式とニュースサイトとご本人サイトで情報量違ったりしてどこまでが正しいかよくわかりませんが…。 すべて一致…というか公式も本人も明言しているキャストの一人がMaximilianのフランツ・ヨーゼフ。「エリザベート」という作品のキャストを気にする人は多いでしょうが、フランツを演じる人がどんな人かまで調べる人は少ないだろうことはなんとなく気づいていますが、私が語りたいんで勝手に語ります。
さて、ドイツ語圏ミュージカルのファンをやってずいぶん経ちますが、ドイツ語圏の俳優さんを知らない人に紹介するときはまず「日本にも輸入された作品で何をやっているか」から説明するようにしています。ふたつみっつ並べればなんとなく方向性が見えてくるものです。ところがMaximilianの場合、それにふさわしい役が今のところない。むしろフランツにキャスティングされたということでようやくドイツ語圏ミュージカルファン以外にも説明しやすくなったとホッとしたレベル。本当にずぶの新人ならそういうこともありますが、若手といえど一応小規模プロダクションながら主演作品を二つ持っている方です。ファンとしては「こういう人です」と紹介したい気持ちがどうしてもあります。「ラ・マンチャの男」のペドロとか「ロッキーホラーショー」のブラッドをやったとか、そういう人だと紹介をしたくはないのです。 …のですが、出演作やら見た印象やら並べて書いていたら終わらなくなったので簡単な概要だけ。
音域は自己申告ハイ・バリトン。詳しい区分けはわかってませんが、聞いている分にはどちらかというと甲高い部分を持つ高い方だと思います。ただ、どんなに音域が高くても役柄的には「テノール」ではないと思います。有名な作品でいったら、いくら若手でもラウルやマリウスではないだろうというタイプ。もちろん「エリザベート」だったらルドルフはあり得ず、確かにメインキャストの中ではフランツ・ヨーゼフが一番近いと思います。 身長は188センチ。一応ダンスの素養もあるようですが、結構がっちりしているのでどちらかというとシンガータイプと言われた方が私はすっきりするというか、私が見た役はそういう感じでした(補足:「キューティー・ブロンド」をご覧になった方は動きがよくってダンサーだと思ったとおっしゃってました)。軍服をきれいに着こなせる体型です。 舞台で見たのは2役ですので偉そうなことはいえませんが、羊飼いやってようと靴職人やってようと、どこか品の良さと物腰の柔らかさを感じます。不器用なまでにまじめで一直線で、暖かな雰囲気を持っている役者さんです…とファンらしく特徴を並べてみましたが、フランツという役に結構似合っているように思えてきました。若い役者さんですので晩年をどう演じるかと気になるところではありますが、キャラが違うということは決してないと思っています。今までで一番の大きな役であることは間違いありませんが、共演者には今までも恵まれてますので、誰が相手でも臆することなく演じられる、舞台度胸のある人だと思っています。どんな新しい「フランツ・ヨーゼフ」ができあがるのか、とても楽しみです。
なにか彼らしい動画ないかなあといろいろさがしていたのですが、「コルピングの夢」のプロモーションが一番短いながらも彼らしいかなと思っています。初日の半年以上前ということで今と全く雰囲気が違うということを、ファンとしてフォローを入れさせていただきますが(笑)。 靴職人コルピングとカールが大都市ケルンに出てきてはしゃいでる歌。 「みんなで力を合わせて誇りをもって生きていこう」という感じの歌(あまりに行儀のいい歌なのでなんとも説明しづらい…)。
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(2014/10/03(Fri) 01:32:12)
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エリザベートツアー公演のキャスト(ちょっと訂正)
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さて、上海まで来てくれるのに日本までは来てくれないエリザベートツアー公演。 ドイツ語圏らしい速度でキャストが発表されております。 今のところ以下の通り。 (ドイツ、オーストリアと続く公演のどこまで誰が出るかについては微妙に不明ですので、贔屓がいらっしゃる方は調べたほうが安全です)
Elisabeth:Roberta Valentini Der Tod:Mark Seibert Kaiser Franz Joseph:Maximilian Mann
エリザベートはウィキッドでエルファバ、MAのマリー・アントワネットを演じたRoberta Valentini。Thunの一風変わったエリザベートでalternierendとして同役を演じています。 「死」は日本でもおなじみMark Seibert。 いつの間にかこのカンパニーの中ではベテラン勢になってるなあと若干驚きながら眺めています。
で、びっくりキャストがフランツのMaximilian。 最近私がはまってるスポットライトミュージカルが発掘した若手というか、最近私が一番はまってる若手俳優というか…。 来日公演やウィーン再々演でもなぜか若手抜擢枠になってたこの役ですので今更驚くには値しないのかもしれませんが、びっくりしました。 声や雰囲気は柔らかいけどしっかり芯が通ってる役者さんなので、フランツはあっていると思います。 しかしびっくりです。 うまくいきますように。
ルケーニはKurosch Abbasiだとばっかり思っているのですが、今のところ公式アナウンスはなし。
ちなみにルドルフはまだ公式には出てませんが、Thomas Hohlerという話があります。 経験者ですし、テクレンブルクのモンテクリストでアルベールを見たときなかなか良かったので、その通りのキャストだといいなあと思っています。
…このキャストで日本に来てくれないかな…。
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(2014/09/29(Mon) 23:23:07)
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多分まだ続く
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自分の中でけりをつけたつもりでしたが全然だめだった「レディベス」。 原因が結構辛辣なクンツェさんへの批判だったと思い至り、これはしばらくは落ち着かないなあと思った次第。 「翻訳ミュージカルとはなにか」というところならまだしも「ミュージカルはいかいして作られるか」まで考えて行ってしまってるので重症。
でも真面目な話、クンツェさんの詩の魅力って、日本語に訳してどこまで生きているのでしょうか。 歌詞の中に含まれる細かな伏線、韻を踏んでる音、音楽に合わせてある詩、それはどこまで日本語に訳したとき残るんでしょう? そんなことをつらつら考えてしまうんです。
…もうちょっと整理してまた戻って来ますー…。
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(2014/09/22(Mon) 23:58:08)
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このくらいにしておきます。
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ぐだぐだと「レディベス」について考えていますが、たぶん一番引っかかってるのが「ベス」はいったい何者だったかという話。 ふっと、「あ、つまり"レディ・ベス"なんだ」と気づいた。 タイトルがそもそもという話でなく、「ベス」が誰だったかの話。
ミュージカルではばっさりカットされていますが、なぜベスが「レディ」と呼ばれるかというと、アンが不義を犯した罪で処刑されたから。 ベスは王女である自分に誇りを持っていた…と考えるとちょっと物語の見え方がちょっと変わってきます。
王位継承者として勉学を続けているベス。 彼女は自分を王女だと思っているのに、周りは「レディ」扱いする。 そのため、自分の父親が国王であることを支えにしている(父を尊敬しているから父にこだわるのでなく、父親の血統しか自分が「何者であるか」を証明できない)。 また、それゆえに自分が王女でなくなるきっかけとなった母を憎んでいる。 ロビンと出会い、ベスは外の世界を、なにものにもとらわれな生き方があることを彼女は知る。 メアリーに否定されてもベスは自分が王女であるという誇りを譲ることはない。 しかしロンドン塔で母が無実であったかもしれないことに気づいたベスは、今まで誇りに思っていた父が無実の罪であった母を投獄し処刑したことに気づく。 父親を誇りに思っていたベスの心は揺らぐ。 父親のことを疑うようになったベスは、自分には父親の血筋を生きる…すなわち王女として生きる道だけでなく、一人の人間として自由に生きること、ロビンと生きる道があることに気づく。 王の娘として生きるか、自由に自分のままに生きるかベスは迷う。 しかし、永遠に理解することがないと思っていたメアリーの背負っていた重荷や自分と同じ苦しみを持っていたことを知り、ベスにとって「自分のままに生きること」は女王になることだと思い至り、彼女は自分の意志で王座につく。
では「レディ・ベス」とはなんなのか。 偉大なる女王エリザベス1世が女王でない、自分が何者であるかを知らない、一人の人間、すなわち「レディ」であったときの物語…。
というふうに、メインテーマを決めて物語を振り返ってみたら結構すっきりしました。 もちろん元の台本どころか、1回しか観劇しておりませんので現行の台本もよくわかってません。 ですから、フェリペの部分とかすっぽり抜け落ちてます(が、ただの便利なわき役ですんで、彼についてはそんなにつっこまなくてもいいと思います)。
また、「レディ・ベス」の意味は説明しようとすれば数分で終わるものですし、彼女が「王女であるはずなのに庶子扱いされている」というのは演技の方向性でいくらでも示せるものです。 そういう意味で、脚本をあまりいじらなくっても話に筋を通すのは可能ではないかと思った次第です。 (クンツェさんの言っていた「青春物語」という言葉とも矛盾しません)
というわけで個人的にとてもすっきりした話でした。
…ただ、やっぱり原詩は読みたいです。 英語だと読む気力が持続するか謎なんですが…。 クンツェさんの作品でまじめに訳してるのってレベッカとTdVくらいですが(エリザベートやモーゼはほぼ流し読み)、どうも情報量が少ない気がするんですよね…。 訳していて感じた「ああ、クンツェさんらしいなあ」というのもない。 翻訳って結構細かな機微で方向性が大きく変わってくるので、原詩がどうだったか、気になります。
ちなみに、公演を見た限りでは脚本に一本の筋が通ってなくてすごく引っかかるのですが、実際のところ、「本当はもっと長い台本だった」という何度か聞いたことのある説が事実だとするとちょっと納得がいきます。 もちろん、削るべきは削るべきです。 むしろもっと削るべきです、3時間以内に収まるように。 ただ、「日本人には難しい(わかりにくい)」「暗すぎて商業的に向かない」という部分を軸として、テーマをなににするかをちゃんと絞り込まずに台本を削り、演技を役者に丸投げしたとすると、私が見た「レディベス」になる気がするんです。 …クンツェさんの元台本を削るところからもう一度やり直して作られた作品が見たいな…。
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(2014/09/21(Sun) 23:00:09)
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無駄にこだわる
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「フリードリヒ」はありがたいことにCDとDVDが出ているのですが、今まで歌詞カードがどこにもなかった。 先日楽譜が出たので、そこから歌詞を引っ張り出してぽつぽつと翻訳してます(単語の区切りが分からず死亡すること多数)。
それはさておき、当たり前ですが訳していくと聞き取れなかった部分がずいぶんはっきりしてきます。 若フリッツをあほの子あほの子と呼んでいましたが、意外と賢かった。 ミュージカルの7割くらいは彼が16歳、18歳の頃のことです(老フリッツがいろいろ語ってますが、それは台本がないので未だによくわかってない)。 自分が王になった後の新しい時代をどうしたいか自分の言葉で語れる、父親からの罵り言葉に反論するときにも過去の哲学者の言葉を引用することができる、投獄され自分の処刑がほぼ確定していると感じてもそれを飲み込むことができる…と、若いころから結構肝が据わってるというか、王者の資質があるというか、しっかりしてるなあと思ったのです。 お花畑でフルート吹いたり詩歌を作ったりしてるだけの妖精さんじゃなかった。
で、ドイツで「レディベス」上演するならどうなるだろうとふっと思った。 フリードリヒ大王とエリザベス1世がそれぞれの国でどういう扱いかわかりません。 フリードリヒ大王はあくまでプロイセンの王だからドイツじゃ地域によって若干感覚が違うんじゃないかなあと推測するくらい。
「フリードリヒ」は上演回数も大したことない、小さなプロダクションのミュージカルです。 だから、たとえドイツで「レディベス」が上演されたとしても、比較できるのは関連のお仕事してる人かマニアくらいでしょう。 でも、日本の「レディベス」まんまをドイツで上演したらそれはそれでまずい気がするのです。 いかなる理由があっても、自国の過去の王は王の資質があるように描いて、他国の王は王者の資質の面は役者の表現任せじゃいかにもまずいと思うのですよ。
いや、不幸な人同士を比較するって意味ないことは一応はわかってます。 でも、王太子なのに父王があまりにもひどかったから虐待に等しい環境で育ったとか(聞き取れる範囲でも服買ってくれないから寒さに震えてるとか食事は少な目にしろとかろくなことしてない)、自由で明るい未来がどんなものか自分の言葉で語れるとか、即位できるかとか以前に本当に父王に処刑されかけたとか、それをきっかけに親友を処刑され一番の理解者である姉と引き離されたとか。 …そんな青年時代を生き抜いてきた、王になるべくして生まれた人物だった…という物語を上演した後で、一人の平凡な少女が恋を捨てて王になる物語を上演するのはどうかと思ったのでした。 しかも近隣国の話だし。
そんなわけでもし、もしもドイツで上演されるならもっと歴史的側面が強く出た重い作品だといいなあと…結局妄想はそこに行きつきます。
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(2014/09/20(Sat) 00:27:45)
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