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  エリザベートとフランツのハンガリー訪問

 エリザベートはそこそこ好きで東宝初演からウィーン公演、日本来日を含むツアー公演といろいろ見ていますが、何度も見ているとやはり新しい発見があるものです。
 このことについて気が付いたのは忘れもしないドイツツアー公演。フランツはMathias Edenbornでした。この公演、最初は行くつもりがなかったのですが、なかなか決まらなかったフランツ役がかねてから好きだったMathiasだと知り、大慌てで日程調整して行きました。

 ハンガリー訪問のシーンでふと思ったことがありました。
 「フランツは小さなゾフィーの死を悲しんだんだろうか?」

 史実は置いておいて、ミュージカルでの話ですが、これについては完全に先入観がありました。自分の子供が死んだのだから嘆くのは親として当然と思っていましたし、なにより東宝版初演の鈴木フランツの嘆きぶりがずっと胸に刻まれているので疑問に思ったことはありませんでした。けれどふと気づいてみると「娘」です。世継ぎにはなれない「娘」。そう思って台本を見てみると少し気になる点がありました。
 東宝版だとだいたい以下のようなことをはなしています(うろ覚え)。
 「子供たちを返したなら、どんな遠くへも参りましょう。まず子供たち。返してください」
 「母上に、掛け合うよ」

 手元にあったエッセン公演の時の台本だとこんな感じです。
 「子供たちと一緒なら旅をします。まず子供たちを返して!そうしたらあなたの公務にもしたがいます」
 「旅は散歩ではない、子供たちはまだ小さい」
 「もう長いこと子供たちと離れています、それなら答えは「ノー」です」
 「神よ。もう君がなにを考えているかわからない。だが頼む、君の言うとおりにしよう」

 ほぼ直訳なので、ニュアンスは拾えてないかもしれませんがなんとなくのイメージは伝わるかと思います。これを読むと旅に子供たちを連れていくことは危険であるとフランツは認識していた気がします。東宝版と違うところは色々ありますが、「小さなゾフィーの死は突然訪れたものでなくあらかじめ予見できたものだった」という違いは、結構大きなものだと思います。
 ハンガリー訪問のシーン自体の違いはさらに大きいので面倒なのですが・・・。印象的なのはエルマーたちの台詞。
「彼女は悲しんでいるように見える」
「子供たちは病気だ。小さなゾフィーは高熱だ」
 エリザベートは子供たちが高熱を出しているのを知っているのにその場にいる・・・この直後に棺を持った「死」が現れるのですが、「死」が能動的に小さなゾフィーを殺したのでなく、長い旅に耐えられず高熱を出した子供が亡くなった、というありきたりの悲劇の中にエリザベートが「死」を見た・・・というように印象が結構変わります。

 上記の公演は1回しか見ることはなく、印象の違いを抱えたまま台本を読みつつ時は流れました。
 さて昨年、上海までツアーエリザベートが来るという話がありました。最初は行くつもりなどなかったのですがなかなか発表されなかったフランツ役が前から応援していたMaximilian Mannで(以下略)。くだんのシーンについてどう感じるかと思いながら見に行きました。
 先入観はあったのかもしれませんが、やはりフランツは「子供の命が危ない」ことを知りながら子供たちと共にハンガリーに行ったように思えました。それはエリザベートとの会話のシーンでも思いましたし、ハンガリー訪問のシーンでも感じました。フランツの隣で、熱を出して苦しんでいる子供のことが心配でたまらないエリザベートをとがめるような眼差し、きっとエリザベートが子供のそばにいたいと訴えたとしても許さなかったと思えるフランツの眼差しが、それを感じさせました。
 ちなみにこのときのエリザベート、つまり子供が高い熱で苦しんでいるのにそばにいることさえできず不安でたまらず、夫にそれを訴えようとするも優しいはずの彼は「約束を果たせ」とばかりに冷たい目線で一瞥するばかりで逃げ場もなく、どうしようもない不安でふるえている彼女は恐ろしいほどまでに美しく、先ほどのエルマーたちの言葉の続きの通り「心配ごとが彼女をさらに美しくする」としか言いようがなく、とても印象的なシーンでした。こう、なんと言ったらいいのか・・・子供が病気であるという親にとっての自分が苦しんだ方がましという状況を「苦悩する皇后は美しい」でまとめてしまうこの作品、やはりとても好きだと思いました。

 余談ではありますが、エリザベートという作品でフランツをどう演じるかってふたつパターンがあると思います。ひとつは為政者としてはしっかりしているけれど弱い部分があった人という方法、もう一つはマザコン→嫁の尻に敷かれていただめ男という表現。どっちであっても話は破綻しないと思いますし、ウィーンであったらどちらでもいいです。史実のフランツ・ヨーゼフがどういう人でありなにをしたかという証は街中にいくらでもありますから。でも海外では「フランツ・ヨーゼフ」を知らない人も多いのですから、実在の人物に敬意を払い、「完璧な人ではなかったが、並以上の王者であった」と思わせてほしいという願いがあります。幸いにして後者のフランツを私は見たことがありません。また、先述のMathiasもMaximilianも、エリザベート目線では確かに問題のある夫だったのかもしれませんが、君主として育てられ、それ以外の生き方を知らなかった人間・・・という表現の方向性が大変好みでした。

ミュージカルその他
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(2016/07/25(Mon) 01:30:50)





  デスノート(2015/04/19)


 一体どういう作品になるか分からなかったこの作品、蓋を開けてみたら結構評判がいい。見に行こうか迷っていましたが、なにせ相変わらずの繁忙期、行けるタイミングがほとんどなくどうしようかと思っていたら、唯一行ける日の公演についてツイッターでフォローさせていただいてる方からチケットを譲っていただけることになり、行ってまいりました。ちなみに原作は週刊誌のほうで全編読みましたが、コミックスでまとめて読んだわけではないので全く読み込んではおりません。
 ちなみに今回の感想、どちらかといえば「ミュージカルとはどういうものか」ということが主軸になっておりますので、作品の感想をお求めの方は別のところを当たってください、ごめんなさい。

 今回の作曲家、作詞家の新作というと、昨年11月に見た「アーサー王」を思い出します。同じ作曲家、作詞家でここまで雰囲気が違うのかと、驚かされました。「アーサー王」は「歌は素晴らしいけど話は別になかった」だったのに、今回は「歌はまあふつう、作品としてはしっかりまとまってる」という感じでした。歌については別に「デスノート」も悪くないです。鹿賀さん以外はしっかり歌えてました(これを書いてしばらくたつまで粧裕の存在をすっかり忘れてました。完全に記憶から抹消しておりました…)。ただ、ワイルドホーンの作品を聞いたときの「音楽が素晴らしい!」という感覚、他がダメでも歌がいいからすべて帳消しにできるという感覚はあまりありませんでした。このあたりなにが原因なのかは私自身引っかかっているところです。ひとつはキーが違うことかとは思います。欧州ではこれは教育メソッドの違いなのかもしれませんが、「甲高い」までに声の高い人が男女問わず結構います。皆様歌えてはいるのですが、あとちょっと声質の高い人の方が歌いやすかっただろうと思ってしまうことが多々ありました。もうひとつは音楽で遊んでないことと言ったらいいのか…。なんというか、楽譜通りには歌えているんです。正直、日本のミュージカルでそれが最近スタンダードになっているのはとてもうれしいです。でもあと一歩踏み込んでほしいというか、もっと自在に歌ってほしいなあと思ってしまいました。そして、ワイルドホーンの作品って欧州で見るとほぼ全編歌だと思うのですが、「デスノート」は芝居の間に歌が入っている印象でした。全部が…というわけではありませんが、印象的なシーンの間に歌が入ってる気はしました。
 もう一点印象をあげると、違うメソッドで学んできた人たちが同じ板の上にいると行うこと。バレエなんかでもゲストありの公演だと、教育メソッドの根本が違うと感じることがまれにあります。そんな感じでした。もちろん四季のように劇団だとそろってて当たり前ですが、ドイツ語圏でミュージカルを見るときはあまりそれを感じないので不思議でした。

 ただ、そういうことを全部ひっくるめて、これが日本のミュージカルなんだと納得した部分もありました。ミュージカルって、「これが正解」というものはないと思います。私が見たことがあるのはロンドンとドイツ語圏、それからフランス(来日)と韓国を少しくらいですが、歌に重きを置くか芝居を重きを置くか以前に「ミュージカル」の成り立ちそのものが違うように思えました。その話は長くなりますのでちょっとここは後回しにしまして、日本の場合は芝居の間に歌があるという形式で、キャストはミュージカル関係あるところないところからのかき集めで、いろんな才能を束ねて一つの作品にするという手法でミュージカルを作るという方法論が程度確立しているように感じました。たぶん以前から手法自体は確立していたとは思いますが、歌が下手すぎて気づかなかったのかもしれません。今回は歌に対するストレスが大変少なく、「いろいろな分野で活躍するいろいろな才能の持ち主が一つの舞台を作り上げる」ということをようやく感じることができた気がします。
 「アーサー王」の自分の感想に「役者にあてがきされた役、役を魅力的に見せるためのシチュエーション、シチュエーションを生かすための歌、歌をつなぐためのストーリー」とありましたが、「デスノート」は原作があり、それに合うテーマを定め、いろんな都合で集まったキャストをうまく配置して物語を作ったように思えました。善し悪し含め、日本のミュージカルってそういうものなのかと思います。いろんな畑から出演者を集め、芝居を歌でつないでいく。それはそれで面白い作品ができるものだと感じました。

 脚本はあの長い話をすっきりうまくまとめたと思います。ただ、1幕はおもしろかったのですが、2幕の序盤、月と海砂が出会うあたりのシーンは脚本家変わったのかと思うほどグダグダでした。海砂が歌でキラに思いを伝えようとするのは「なるほど、ミュージカルという媒体をここで生かすか!」と思ったのですが、そのあとのテレビ局へ送ったメッセージが蛇足だしやっつけで書いたのではないかと思える脚本で、どうなるのかと別の意味ではらはらしました。原作では月も海砂もあれこれ考えていると感じさせられましたが、全く何も考えていないように見えてしまい、「心理戦」の影も形もなくなってしまったのは残念でした。その後も2幕は海砂とレムのシーンで持ち直しましたが、終盤の月とLシーンがなんとなく緊張感なく終わってしまったのが残念でした。クライマックスは面白かっただけに、そこに至る過程をもう少し見せてほしと思いました。
 心理戦についてはミュージカルだから表現できなかったというより、ミュージカルというのはそういう内面の表現に適しているのに最大限生かしていないと感じました。これは言葉がわかった故のストレスといえばその通りではあります。例えば大学の入学式で月とLスピーチをする際、実際に話している方ではなく、後ろで控えている方の心の声が観客に聞こえるというのはとても分かりやすいシーンでしたし、噂のテニスのシーンもそれぞれの内面を語るのにちょうどいい場面だと感じました。逆に原作にあったちょっとしたやりとり、例えばLがキラは関東にいると思ったのは音原田の事件がきっかけだったとか、海砂が第2のキラだという証拠は送ったビデオの指紋や消印からは検出されず、付着物等でわかった…という「色々考えて行動している」と分かる部分がカットされていたのが残念でした。こういう細かいギミックがむしろ助長になると感じたのかもしれませんが、特にフォローなくカットされていたので、「なにも考えてない」と感じられてしま部分がありました。これが歌中心のミュージカルだったら仕方ないと思えるのですが、どちらかといえば台詞に重きを置かれた作品だったので、もう少し何とかなったのではと思ってしまいます(いろいろ考えてたけどばれた、が原作で、なにも考えてないからやっぱりばれた、がミュージカル)。
 物語として、一カ所違和感があったのが、月が秀才という設定。月は秀才で若干それを鼻にかけていうということは「自分が選ばれた」と思っていることでも明らかだと思うのですが、そこに違和感がありました。ただ、その点を除くと、「普通の青年が神に等しき力を手に入れやがて滅んでいく話」として大変すっきりしていました。その結末が見えているとやっぱり月の秀才設定が邪魔になるというジレンマがありますが、普通の青年が変わっていく…という流れは好きでした。

 キャストは上記の通り大変よかったと思います。
 月の柿澤さんは確かに月のイメージとは違いましたが、このストーリーの中で徐々に変わっていく様は見事でした。変わっていく…というか、ふと気づいたときそこに全く違う人間がいる…という感覚が近いかもしれません。終盤への流れが好きでした。ただ、曲の音域と声が合ってなかったのが少し残念。歌えてはいたのですが、それ以上を感じられませんでした。
 Lはかなり原作そのままのイメージ。基本的に原作を知っている作品の映像化は苦手なのでほかは見ていないのですが、イメージに合ってる猫背なのに、ちゃんと歌えてることに驚きました。どちらかといえば台詞に節を付けている歌い方でしたが、結構心地よく聞いていました。
 予想外によかったのが海砂。彼女の極端な主張が不思議なくらい自然なものに見えました。盲目的なひたむきさがとてもしっくりきました。正しいとか間違ってるとかそういうものは彼女にとって無意味で、ただ一途に心を捧げるというのがぴったりで、それが物語にもミュージカルという形式にもぴったりはまっていました。
 死神二人はなんとも対照的。ミュージカルという音楽のある世界に生きていたのは濱田さんの方だと思います。相変わらずの聞かせる歌声と芝居が自然になじんでいました。世界観になじんでいて、この世ならざるものとしてちゃんとそこに「いる」。歌はもちろん見事だったのですが、佇まいがとても好きでした。芝居寄りで、確かに歌を聴かせる感じではなかった吉田さんも、ここまで歌えるなら十分と思えました。ただ、彼は歌を歌うことによって演技を制限されているように見えて、彼がミュージカルに出演する意味を考えなくもなかったのですが、ラストシーンが本当に見事なんですよね。ラストの台詞の一つ一つの重さ、言葉によって劇場の雰囲気が変わっていく感覚、それが「ミュージカル」かというと違うのですが、芝居として大変見事で、それを見られただけでも劇場に足を運んだ価値があったと思えたので、よかったとは思うのですがいろいろ悩ましい存在でした。

 演出としてはすっきりしていて大変魅力的でした。シンプルなセットだったのですが、その無骨な作りがこの物語に合っているように思えました。特に空間の使い方がうまくて、リンド・エル・テイラーのシーンでは舞台上にある3つのシーンがうまく使い分けられてましたし、「L」というもう一人の主人公の登場にふさわしいインパクトもありました。全体的に照明も美しく、闇の中にぼんやりと光が浮かび上がる感じが、黒いノートをめくったときの感覚にも、闇の世界に光が射す光景にも思え、印象的でした。

 ワイルドホーンの作品はどちらかと言えば作品のニュアンスだけをくんで、あとはオリジナル…というものが多い気がします。「モンテクリスト伯」も「アーサー王」もそんな感じでした。まあ、ネタバレになるのであまりどこがどう原作と違うかは言いませんが。例えば、今まで一番とんでも演出だった「ジキル&ハイド」では「ラストにジキルの作った薬を注射してリザ(日本版で言うところのエマ)を射殺するサイモン」というものでした。それに比べたらデスノートなんて原作そのままと言っていいほどです(笑)。2.5次元ミュージカルとそれ以外を分けるものはなにかと考えたとき、前者は原作を再現することを重視し、後者は原作の名前を冠しているけど原作と結構違う部分があるものではないかと思います。そう思うとデスノートは2.5次元ミュージカルよりは普通のミュージカル寄りですし、けれど日本の作品が原作だからかまだ原作から離れ切れてない気もします。別の国に行ってもっと原作から離れることもできるのではないかと感じさせられましたし、それはそれでおもしろい作品になると思います。韓国での上演予定はありますが、それ以外の国でも見てみたいと思えます。だからといって日本版がおもしろくなかったというわけではなく、細かい不満はありましたが、日本版も上演を重ねていってほしいと思えました。今の時点でちゃんと完成した作品でしたし、カンパニーが違っても見たいと思える作品でしたので、よい作品ができあがったと思います。
 新作ミュージカルをいろいろ見ているうちに感じたことは、本当にオリジナルの作品を作ることの難しさです。もちろん成功した作品の中にそういうものがないわけではありませんが、それでも舞台の設定やキャラクター、物語の展開やエピソード、すべてがオリジナルである作品の方がまれだと思います。どの世界でも「原作」を求めていると感じます。「漫画」という原作は、今まで映画やドラマになることはあっても、ミュージカルは原作重視のいわゆる2.5次元ミュージカルが中心だったと思います。原作をそのまま再現するのではなく、その一部を抽出して新しい作品を作る、その流れがミュージカルに来たのは面白いのではないかと思っています。「デスノート」は素人目には成功したように見えるので、日本のミュージカル制作において新しい流れが来ないかと、少し期待しています。
 楽しかったです。

 以下、ちょっとドイツ語圏で見た新作を思い出しつつ。
 若手男性二人が主役の新作というとスポットライトミュージカルの「コルピングの夢」を思い出します。作品のレベルとしては「デスノート」の方が高いのですが、キャストのバランスはコルピングの方がよかったなあと思っています。なんというか、若手が今持てる力を全力で演じているのに対し、ベテランのClaus DamやSabrina Weckerinが舞台全体のバランスを底支えしている気がしました。年齢のバランスとしてはデスノートも似た感じなのですが、ベテラン層に「バランス調整」を感じなかったのが不思議でした。そのせいで若干物語全体としての主張より、個々のキャストの主張の方を強く感じてしまったのです。うまいからといって主役を食ってしまうわき役は、本当にうまいのかなあとちょっと思ってしまいましたのも事実なのです。
 あと、「モンテクリスト伯」は完全に初見(いろいろ巡り合わせが悪くてCDを聞かずに観劇)だったのですが、1回目で作品のテーマとなる曲とテーマが分かった…というか、作品として表現しきれてないけどこれがテーマ曲であると分かったのですが、「デスノート」はそれを感じませんでした。「アーサー王」はCDを聞き込んでいったのですが、CDを聞いたときには感じなかった「これがメインの曲」というのが舞台を見たらすぐに分かりました。「デスノート」はそういう曲がぱっと思い浮かばないのですが、別のプロダクションで見たら印象が一変するのではと、少し思っています。

ミュージカルその他
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(2015/05/08(Fri) 00:44:45)





  多分まだ続く

自分の中でけりをつけたつもりでしたが全然だめだった「レディベス」。
原因が結構辛辣なクンツェさんへの批判だったと思い至り、これはしばらくは落ち着かないなあと思った次第。
「翻訳ミュージカルとはなにか」というところならまだしも「ミュージカルはいかいして作られるか」まで考えて行ってしまってるので重症。

でも真面目な話、クンツェさんの詩の魅力って、日本語に訳してどこまで生きているのでしょうか。
歌詞の中に含まれる細かな伏線、韻を踏んでる音、音楽に合わせてある詩、それはどこまで日本語に訳したとき残るんでしょう?
そんなことをつらつら考えてしまうんです。

…もうちょっと整理してまた戻って来ますー…。

ミュージカルその他
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(2014/09/22(Mon) 23:58:08)





  このくらいにしておきます。

ぐだぐだと「レディベス」について考えていますが、たぶん一番引っかかってるのが「ベス」はいったい何者だったかという話。
ふっと、「あ、つまり"レディ・ベス"なんだ」と気づいた。
タイトルがそもそもという話でなく、「ベス」が誰だったかの話。

ミュージカルではばっさりカットされていますが、なぜベスが「レディ」と呼ばれるかというと、アンが不義を犯した罪で処刑されたから。
ベスは王女である自分に誇りを持っていた…と考えるとちょっと物語の見え方がちょっと変わってきます。

王位継承者として勉学を続けているベス。
彼女は自分を王女だと思っているのに、周りは「レディ」扱いする。
そのため、自分の父親が国王であることを支えにしている(父を尊敬しているから父にこだわるのでなく、父親の血統しか自分が「何者であるか」を証明できない)。
また、それゆえに自分が王女でなくなるきっかけとなった母を憎んでいる。
ロビンと出会い、ベスは外の世界を、なにものにもとらわれな生き方があることを彼女は知る。
メアリーに否定されてもベスは自分が王女であるという誇りを譲ることはない。
しかしロンドン塔で母が無実であったかもしれないことに気づいたベスは、今まで誇りに思っていた父が無実の罪であった母を投獄し処刑したことに気づく。
父親を誇りに思っていたベスの心は揺らぐ。
父親のことを疑うようになったベスは、自分には父親の血筋を生きる…すなわち王女として生きる道だけでなく、一人の人間として自由に生きること、ロビンと生きる道があることに気づく。
王の娘として生きるか、自由に自分のままに生きるかベスは迷う。
しかし、永遠に理解することがないと思っていたメアリーの背負っていた重荷や自分と同じ苦しみを持っていたことを知り、ベスにとって「自分のままに生きること」は女王になることだと思い至り、彼女は自分の意志で王座につく。

では「レディ・ベス」とはなんなのか。
偉大なる女王エリザベス1世が女王でない、自分が何者であるかを知らない、一人の人間、すなわち「レディ」であったときの物語…。

というふうに、メインテーマを決めて物語を振り返ってみたら結構すっきりしました。
もちろん元の台本どころか、1回しか観劇しておりませんので現行の台本もよくわかってません。
ですから、フェリペの部分とかすっぽり抜け落ちてます(が、ただの便利なわき役ですんで、彼についてはそんなにつっこまなくてもいいと思います)。

また、「レディ・ベス」の意味は説明しようとすれば数分で終わるものですし、彼女が「王女であるはずなのに庶子扱いされている」というのは演技の方向性でいくらでも示せるものです。
そういう意味で、脚本をあまりいじらなくっても話に筋を通すのは可能ではないかと思った次第です。
(クンツェさんの言っていた「青春物語」という言葉とも矛盾しません)

というわけで個人的にとてもすっきりした話でした。

…ただ、やっぱり原詩は読みたいです。
英語だと読む気力が持続するか謎なんですが…。
クンツェさんの作品でまじめに訳してるのってレベッカとTdVくらいですが(エリザベートやモーゼはほぼ流し読み)、どうも情報量が少ない気がするんですよね…。
訳していて感じた「ああ、クンツェさんらしいなあ」というのもない。
翻訳って結構細かな機微で方向性が大きく変わってくるので、原詩がどうだったか、気になります。

ちなみに、公演を見た限りでは脚本に一本の筋が通ってなくてすごく引っかかるのですが、実際のところ、「本当はもっと長い台本だった」という何度か聞いたことのある説が事実だとするとちょっと納得がいきます。
もちろん、削るべきは削るべきです。
むしろもっと削るべきです、3時間以内に収まるように。
ただ、「日本人には難しい(わかりにくい)」「暗すぎて商業的に向かない」という部分を軸として、テーマをなににするかをちゃんと絞り込まずに台本を削り、演技を役者に丸投げしたとすると、私が見た「レディベス」になる気がするんです。
…クンツェさんの元台本を削るところからもう一度やり直して作られた作品が見たいな…。


ミュージカルその他
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(2014/09/21(Sun) 23:00:09)





  VAMP 〜魔性のダンサー ローラ・モンテス〜(2014/08/25)

黒木メイサ:ローラ・モンテス
中川晃教:フランツ・リスト
水田航生:トーマス・ジェームズ
新納慎也:アレクサンドル・デュマ
中河内雅貴:アレクサンドル・デュジャリエ
早乙女太一(友情出演):/(闇)
橋本さとし:ルートヴィヒ1世役

EX THEATER ROPPONGI

 実在のダンサー、ローラ・モンテス…ある悪女の物語。
 観劇の前にちょっと調べてから行きました。色々な男たちを渡り歩いた…とあったので、きっと美しく妖艶なダンサーと、彼女に魂を奪われ、地位も身分も財産もあったのに破滅していった男たちを描いた、破滅していく男たちとそんな男たちを踏み台に一層輝いていく女の、ダークで色気のある物語かなあと思っていました。思ってたんですけど違いました…。うーん、「男性が作った作品」だと思いました。暗くって大人向けの作品ではあるのですが、色っぽいというよりえろい。そして「運命に翻弄された哀れな女」の側面が強く、「男性が理想とする女性像」をひしひしと感じてしまいました。特に終盤に行くほどそれが強かったので、そういう作品だと割り切るしかないのかなあと思っております。

 作品として一人の男とひとつの花とその色がモチーフとなって物語が進んでいくのが面白かったです。映像的…とほかの方が言葉にしているのを見てはじめて気づきましたが、ちょっと普段見ている舞台と雰囲気の異なる演出も興味深かったです。冒頭のシーンで5人の男たちとそれぞれとローラの関係が文字で出てくるあたりなんか象徴的なんですが、このはじまり方結構好きです。ただ、作品のつくりは丁寧ではないので、一人一人の男とどう出会ってどんな情熱が交わされて男は破滅し女はより輝くか…という側面が薄かったのが残念でした。アイディアは面白かったので、もう少し生かしてほしかったなあ。ちなみに個人的に一番ずっこけたのは最初のシーンでローラが「(ドレスの)ファスナーあげて」と言うところ。「彼女の時代にファスナーあったっけ!!??」となってしまって話に入り込めなかったんですよねえ(苦笑)。(ちなみに調べたら「1891年に米国ホイットコム・ジャドソン氏が、靴ヒモを結ぶ不便さを解決しようと考えたものがファスナーの起源とされています。」だそうです(YKK株式会社HPより)。ローラは没年1861年)

 役者目当てで行ったのですが、うわさに聞いていて初めて見た早乙女太一さんは本当に素晴らしかった!「闇」という役柄そのものの存在。艶やかに滑らかに存在する漆黒の中で、最も暗く最も美しい部分がそのまま人間の姿を取って動き出したみたい。あの存在感は一見の価値がありましたし、心を奪われました。殺陣はメイサさん相手だったのでゆったりとしたものでしたが、その動きの美しいこと美しいこと!体の動きの美しさや剣の動きの美しさや鋭さを持っているのはもちろん、翻る手首がなんとも美しく滑らかでした。2階席からだったのに、オペラグラスなしでも細かい動きが目に焼き付く美しさでした。
 もう一人のお目当てだった中川さんは、ローラとのシーンが…その…苦手なタイプのエロで…つらかった…。これだけだったら目も当てられないと思いましたが、ストーリーというより物語のテーマを語るように途中で歌が入ってくれて安心しました。彼を見るのは何年振りか覚えていませんが、相変わらずというかますます素晴らしくなっていますね!そんな声の出し方をしてよく喉を壊さないなあと驚くような、叫ぶような高音を、耳に心地よく歌ってくれる人ってそうそういません。5重唱になってもその独特の声ははっきり聞こえました。やっぱりすごいなあ。

 ところで、この劇場初めて行ったのですが、新しい劇場なんですね。これから稀にミュージカルもやるようなので、覚書程度に。六本木駅から徒歩10分圏内と結構近いのがありがたいです。駅から劇場に行くまでにもおしゃれな感じのお店が結構あって、ほかの劇場に行く時と違う気分になりました。劇場は地下2階と地下1階で実質1階部分と2階部分になってます。客席数900人くらいということですが、四季劇場に慣れてると若干大きな箱に感じるかも。2階席が若干高いのが気になりました。その代り四季劇場みたいに窮屈な感じはしません。
 「ONCE」というミュージカルが11月に上演されるのですが、オーチャードやオーブみたいに無駄に馬鹿でかい箱じゃなくってこういうところで見たい!と思いました(BW作品ですが、なぜか周りに見に行った人がいたうえに絶賛してるので気になってる)。1階席部分には降りていきませんでしたが、オケピの概念がない、舞台の低い感じの劇場だったので、面白そうでした。でも、これ絶対見るなら1階席です!2階席だと全体を見るのにはいいですが、プロモーションを見る限りでは一体感を楽しむ作品みたいなので、1階席のほうがいいなあと、座ってもいないのに思っております。

ミュージカルその他
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(2014/08/27(Wed) 23:35:49)




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