Das Phantom der Oper |
2005/10/06 |
COLOSSEUM THEATER ESSEN |
Phantom der Oper | Thomas Borchert | |
Christine Daaé | Anne Görner | |
Raoul Vicomte de Chagny | Nikolaj Alexander Brucker | |
Monsieur Firmin | Ernst van Looy | |
Monsieur André | Ulrich Wand | |
Carlotta Giudicelli | Laurie Anne McGowan | |
Ubaldo Piangi | Daniel Brenna | |
Madame Giry | Gabriele Ramm | |
Meg Giry | Annabel Knight |
Thomasのファントムを見るため、色々なんだかんだあって、準備期間1週間で行ってまいりました(笑)。
初めての海外のファントムだったのですが、無茶をして行って良かったと思えるものでした。 |
この作品、見るのは5回目くらいだと思います。
あ、もしかして持ってるCDのほうが多いかも。
ええと、オリジナルに、ハンガリー盤に、ウィーン盤に、メキシコ盤。
Ethanの歌ってるスタジオ録音版があって、映画版はドイツ、スペイン、イタリアがある。
あ、やっぱりCDの方が多かった(笑)。 よく、海外の劇場って日本の劇場に比べて趣があるって言いますよね。 その言葉に反して趣のある劇場は日生劇場でしょうか。 あのどっしりしっとりとした優雅な雰囲気、広々としたロビー、素晴らしいです。 逆に趣のない海外の劇場の代表がこのコロセウムシアターではないでしょうか・・・・。 何これ、ごつすぎ、でかすぎ。 ロビーが広いのはまあ、いいような気もしますが(それでも広すぎるとは思う)、 客席まであんなに広いかつ鉄骨が剥き出しとは・・・。 四季劇場(海)のほうがまだいいような気がします。 こんなところでファントムとか、エリザベートとかやっちゃだめだよー。 四季で6月末にも見たのですが、やはりずいぶん違いますね。 セットの重厚感とか、衣装の美しさとか。 同じはずですよね? でも全く違うように見えて驚きました。 そして何よりも違ったのがオーケストラ! 重厚感というか、迫力というか・・・全然違いますね。 オケのレベルが上がると、舞台を見たときの満足感が違うんだから、四季もがんばってくれよー(涙)。 そんなわけで、素晴らしいオーケストラにうっとりと聞き入っていました。 今回の旅の中では、ここのオーケストラが一番上質でした (アンデアウィーンのオケがあそこにしては駄目駄目だったというのもあるんですけどね・・・)。 念をかけていったおかげか、キャストはアンドレ以外ファーストでした。 幕が開いたばっかりだったので、Lucius君のラウルが見れなかったのだけがちょっと残念。 別にラウルが悪かったと言うわけでなく、彼のマリウスが好きだったので、ラウルで見たかったのです。 一応、アンサンブルでは出ていました。 相変わらずの整った顔立ちにうっとりしておりましたわ。 さて、感想なのですが・・・・「きゃー、1年半ぶりのThomasだー」とハートマーク飛ばしまくっていたばかの 記憶に一体何が残っているのか・・・という感じです。 もう少し冷静になっていれば舞台をもっと楽しめただろうに、という当たり前のことに気付いたのは帰国してから4日後。 いや〜、人間、熱くなりすぎるとろくなことありません。 舞台全体としては、やっぱりまだ幕が開いたばかりと感じさせるところがありました。 ほんの1ミリ程度ずれているような・・・そんな不思議な感じがありました。 目に付いたところは、なんと言っても冒頭のセットにかかっていた幕が全て取り払われるシーン。 うまく取れなくってがんばって引き離していることあり、うまくいかないから諦めて1幕は中途半端に幕が残ったまま 通しちゃったり。 思わず「スタッフさん、がんばれー!」と応援してしまいましたよ(苦笑)。 1日目はクリスティーヌの楽屋の扉がうまく閉まらず、2日目にはブケーが落ちて来ず・・・・。 やっぱり、スタッフさんがんばって・・・・! いい席で見たからかもしれませんが、自分が「オペラ座の怪人」を見に来ているのか、それとも何かオペラを見に来ているのか 分からなくなるシーンがいくつかありました。 「イル・ムート」でカルロッタが歌えなくなったあとのアンドレの「お詫び」を聞いているとき、本当に舞台のトラブルがあり、 支配人から説明を受けてる気分になりました。 また、「ドン・ファン」が始まる前の音合わせ、でしょうか、オーケストラからこぼれてくる音がまさに 「舞台の始まる前の高揚感」を感じさせるものがあり、なかなか不思議な感じがしました。 この間タワーレコードに行ったとき映画版のDVDのプロモーション映像が流れていたのですが、 やはりあれはアメリカンですね。 こちらには当たり前ですがヨーロッパのにおいがしました。 まあ、パリではありませんでしたけどね(笑)。 キャスト陣は、やっぱりさすがの一言。 声とか演技の方向性とか外見とかであれこれえり好みをしたくなることはあっても、「役者実力」という意味では 一定のラインを軽々クリアしていると思っています。 こう、安心して見れる役者さんがそろってるっていいなあ。 クリスティーヌは「お化粧もう少しがんばって!」と思うことはありましたが、遠目にはまったく問題なし (というか、オペラグラスをなかなか手放さなかった私に問題あり)。 声量豊かで、表現が細やかで若いクリスティーヌっていいですねえ。 ちょっと小柄な感じが、またなかなかかわいかったです。 クリスはちょっと小柄&存在感は抜群がちょうどいいと思うので、ぴったりでした。 ラウルとのやり取りがほほえましくってかわいいし、ファントムの声に操られるように自分を失ってるような様も 見事でした。 ラウルはちょっと目つきが悪いけど、若くて物腰の柔らかい、いい男でした。 声は優しいんですが、オペラグラスでのぞくとちょっとびっくり(苦笑)。 マダム・ジリーは声が低いかと思いきや、高くってびっくり。 でも、それ以外は私がよく知っているマダム・ジリーでした(笑)。 冒頭のシーンになりますが、音を立てて杖を突いただけで皆が静かになるだけの迫力がありました。 慣れるとあの高い声は、はまります。 聞いてると、思わず背筋が伸びてきます(笑)。 メグ・ジリーの方はかわいくって踊りもよかったけど、歌がちょっと迫力不足かなといった感じでした。 でも、声はきれいだったんでこの先が楽しみです。 カルロッタは予想よりちょっと細めというか、小柄な感じがしました。 写真を見るとびっくりするくらい細いんですが、舞台の上ではちゃんとカルロッタに見えるあたりがやっぱりさすが。 声は「その細い体のどこからそんな声が!?」という感じの迫力。 ピアンジは、最初のシーンでは声がちょっとふらふらしていましたが、のどが慣れてきたころには見事な歌を 聞かせてくれました。 この二人並んでるシーンがなんか妙に好きでした。 ドンファンの楽譜を見ているところがなぜかつぼにはまり、メインの芝居そっちのけで見ておりました(笑)。 フィルマンも、これまた不思議な声をしていました。 声が、高いんでしょうか? 妙に俗物っぽいところが素敵。 アンドレは理想どおりのストレートな美声でした♪ 紳士を気取ったしぐさとぴったり合います。 この二人も声から存在からでこぼこコンビという感じで楽しかったです。 で、お目当てのファントム。 第一声の「ブラヴィ−」が「あんたそれファントムじゃなくってThomasだよ・・・」という声で、早速出鼻をくじかれる(笑)。 ああ、懐かしいなこの感覚、確かクロロックを見たときもおんなじことを考えてました。 「オペラ座の怪人」では、ちょっとファントムよりの声になっていて一安心。 しかし、何かが違う・・・色っぽくない! 相変わらずタッパがあるから見栄えはいいし、指先まできれいな動きをしているけど、色っぽくない。 色気が無いわけじゃないんですが、彼が本気出したらこんなもんじゃないでしょー!?っと突っ込むことしばし。 疑問は「ザ・ミュージック・オブ・ザ・ナイト」であっさり解決しました。 子供、なんです。 幼い、というとまた微妙にニュアンスが違ってくる気がするんですが・・・心の一部分が成長しきれないまま ここまで来てしまったファントムといった感じがしました。 まあ、全てが全て「子供」というわけではなかったんですけどね。 特にクリスティーヌに対するとき、「母親に捨てられた子供」というようなところを感じることがありました。 1幕の終わり、天子像の上から聞こえる叫び声がまさにそれでしたし、 墓場でクリスティーヌを呼び声は父親が娘を呼ぶ声などではなく、明らかに母親を呼ぶ子供の声でした。 さて、絶対いいだろうと思っていた「ドン.ファンの勝利」以降。 ピアンジと入れ替わった時に応える声がこれまた「あんたそれファントムじゃなくって(以下略)」で再び 出鼻をくじかれる(笑)。 しかし、細身の長身に黒いローブという姿が異常に似合ってて、かっこよくってびっくり。 このシーンでこんなに見た目がいいファントムは初めてです(まあ、今までファントムは映画込みで3人しか見てませんが)。 ただ、姿も声もピアンジと違いすぎてちょっと苦笑。 思わず「いや、いくらなんでもそれ、気付くだろう」と突っ込みいれてしまったのも事実。 他のキャストさんでも突っ込みを入れたことはありますが、今までで最大級の突込みを入れたかったです(笑)。 でも、そんなあほな突込みを除けばすごくよかったです。 とにかく密度が高い。 このシーンだけはファントムもちゃんと色っぽかったし、クリスティーヌの仕草にもどきどきさせられました。 一つ一つの動きが本当に細かくってちゃんと意味があって・・・あまりにも密度が濃くって記憶力が 追いつきませんでした・・・。 クリスティーヌが持っているりんごをファントムが手に取るシーンさえめちゃくちゃ色っぽくて、「他のシーンもよかったけど ここまで色っぽかった」とメモに書いたら、ここしか覚えてないし。 どうしてくれよう、この記憶力(苦笑)。 はっきり覚えているのはクリスティーヌがフードを取ったときのことくらいです。 今までかなり激しい気持ちの流れだったのに、そこに来て全てが止まる。 空気の色が変わったとでも言うのでしょうか。 時が止まったような、そこにあった世界が打ち砕かれたような感じがしました。 そして訪れるラウルと警官隊。 今まで激しい感情のやり取りがあったあとに訪れる静寂。 声は弱くとも強く伝えられるクリスティーヌへの思い、そして仮面を剥ぎ取られ、激昂する。 このメリハリの利いた流れがなんとも有無を言わせない感じで、良かったです。 この感想を書いていてThomasファントムにとってのクリスティーヌってなんだったのかなとちょっと考えてみました。 音楽の世界を共有するものであり、母親のようなものであり、伴侶として求めたい存在であり。 「全て」だったと言ってもいいかもしれません。 でも、ファントムは彼女が生身の人間であるとは考えたことが無かったのかもしれません。 彼自身が、自分のことを生身の人間と考えたことがなかったのと同じように。 ファントム自身は「音楽の天使」で、クリスティーヌも「音楽の天使」。 その「音楽の天使」が人間と手を取ることが許せないのではなく「理解できなかった」。 「ドン・ファンの勝利」のあとの地下水路での歌声(叫び声)は「何故、どうして?」というようにしか聞こえませんでした。 クリスティーヌにウェディングドレスを着せるのも、それ以外に彼女を拘束する術を知らなかったような 滑稽さというか、哀れさがありました。 クリスティーヌがラウルを守ろうとした意味も分からず、彼女が懇願するわけも分からず・・・・。 彼女のキスによってファントムが自分は人間であることを知り、そしてクリスティーヌも人間であることを知った・・・ のかまではちょっと分かりません。 ただ、一人残され、以前と変わらぬ音を奏でるオルゴールをどこか自嘲するように眺めている姿を見たとき、 彼は変わったのだと感じました。 子供じみたところも、狂気に取り付かれたところももう見られない。 そういう、「普通の人間が持っていないもの」が全て剥がれ落ちたように思えました。 最後にクリスティーヌは一度戻ってきますが、指輪を残し、結局はファントムの元を去って行きます。 もしこのときクリスティーヌが一度戻らなくても、もしここで彼女がそのままファントムの元に留まったとしても、 どちらでもファントムは救われなかったんじゃないのかなと、ちょっと思えました。 このあと、ファントムがどうなったかは分かりません。 どこかで彼は生きているでしょうが、それはエリックではあってもPhantomでは無かったのではないかなと思うのでした。 だからでしょうか、最後にファントムの象徴でもあるマスクだけが残っていたという事実が、 不思議と納得のいくものでした。 と、比較的まじめにまとめてみました。 言うまでもありませんが、部屋には「きゃー、Thomasー!」としか訳しようの無いような謎の観劇記録が 残っております(笑)。 それを電子データに落とすかどうかはまた別の話として。 感想を書きつつ、次はミーハー根性抜きで見てみたいと思ったのでした。 多分、そっちの方が楽しいと思います(苦笑)。 |