JEKYLL&HYDE
2007/05/01
Theater Chemnitz

Dr. Henry Jekyll / Mr. Edward HydeRandy Diamond
Lucy HarrisMaricel
Lisa CarewMuriel Wenger
John UttersonMartin Gäbler
Sir Danvers CarewMatthias Winter
Sir Archibald ProopsJürgen Mutze
Lord SavageAndreas Mühle
General Lord GlossopRoland Glass
Lady BeaconsfieldSylvia Schramm-Heilfort
Bischof von BasingstokeWieland Müller
Simon StrideNico Müller
SpiderAndreas Kindschuh
NellieRegine Köbler
PoolStefan Hönig
Ein ApothekerMladen Mladenow
Ein PriesterMathias Kunze
NewsboyCarl-Maria Bode


 すごーく楽しみにしていた公演なのですが、肩透かしを食らって結構がっくり来ています。 セットと演出が突っ込みどころありまくり&おかげで客席の温度が低くって、結構厳しいものがありました。 個人的に好きなところはあったので、何かとセットであればもう一度見に行く気概はあります。

 まず、どーしても突っ込みたいのがセット! 緑を基調にした、古めの病院を思わせるセットで不気味。 消毒液のにおいがするような気がして、あんまり気分がよくない。 そして天井からはミケランジェロの「アダムの創造」を思わせる特大サイズの手(二の腕より先のみ)がぶら下げられておりました。 神の手は金に塗られていて、アダムの手は手首まで肌色(というより石膏の色かな?)で、その先は人体模型と同じ肉の色。 これに加えて数少ないセットが人体模型だったりしたら、私が「客席ドン引き」と繰り返し言っているのが何の誇張も無いことがご理解いただけるのではないでしょうか。 何か哲学的なことを訴えたいのはわかるんですが、中欧にある古い病院を夜、一人で探索しているような気分になって、本当に肝が冷えます。 この作品のチケットは一番高くても32ユーロと大変お安くなっているため、どの場面でもセットはほとんど上記のような感じであとは回り盆と3段のセリで工夫する・・・という簡素なものでした。 チケット代が安いのだからセットが簡素なのは仕方ないと思うのですが、見ていて寒くなるようなセットはちょっと勘弁してほしかったです。 むしろこんなもの無いほうが良いと思ったことは一度や二度じゃありません。 廻り盆やせりの使い方は、なかなか面白かったので、なおさらそう思ってしまいました。
 そして衣装もすごかった。 予算が無いのは分かるから衣装換えが少ないのは良いとして、そのベースとなる衣装がすごい。 何度見ても納得できなかったのはカルー卿。 スコットランドの民族衣装のようなチェックのスカートという想像だにしない素敵な衣装。 この衣装で結婚式まで出てくださるんですもの、目が点二の句が告げないという状態でした。 サイモンははっきり覚えていないんですが、赤とか黄色とか、原色系の服を着ていたと思います。 奇抜な色使いで、目が痛いです。 これに加えて理事会の方々は「仮面」をつけているのかと思うようなメイクをしていまして、不気味でした。 ネリーやスパイダーもえらいことになっていたんですが、印象が薄いんで割愛。
 とういうわけで、ぱっと見本当に不気味でした。 奇抜なのも嫌いじゃないですが、もう少し見る者に優しい造りであって欲しかったかな。 そうすれば、客席の温度ももう少し上がって、役者さんたちもやりやすかったんじゃないかと思います。
 あ、オケはいまいちでした。 下手なのか、客席が寒すぎてやる気が無いのかは分かりませんでしたけれどね。 あの寒さじゃやる気をなくすのも納得してしまうんですよ、プロとしては失格だと思いますが。 そういうことを思うと、やる気を全く無くしていなかった役者さんたちはすごかったです。 客席の温度はあんまり上がりませんでしたが・・・。

 この作品のジキルはめがねをかけた研究おたくといった印象でした。 スマートさはかけらも無く、「頭がよい」というよりは「勉強ができるのと頭がいいのとは違うよねえ」という 感じのジキルでした。 なんか要領が悪そうというか、無駄なことばっかり考えているような雰囲気がしたんです。 世渡りも下手だから、理事会の人に反発を食らうことを何も考えず言い切ってしまうのも分かるんです。 「学者」というより「研究をすることが好きな人」という感じ。 成果が出ることを楽しみにしてるんじゃなくて、要領が悪くてもこつこつと物事を調べて研究していくのがすきそうなタイプ。 日常生活においてはとっさの機転はきかなそうだし、体力、腕力は並みの女性以下という風情。
 ぼろぼろに言ってますが、私は好きでした。 かっこいいと思ったことは一度もありませんでしたが、とにかくかわいかった。 やたら気っ風のいい・・・というか蓮っ葉なリザが完全に惚れ込んじゃって、 この人を引っ張って生きていこうと思えるのには納得。 この人は私がいなくっちゃだめだって思えるような、かわいいジキルなのです。 頼りなさそうなジキルと、かなり強いリザとは割れ鍋に綴じ蓋という感じで本当にお似合い。
 だからこの二人のシーンはお気に入り・・・かというと、そうはいかないのがこの作品のすごいところ。 とにかくリザが蓮っ葉すぎる。 この時代の上流階級失格以前の問題。 立ち姿しゃべり方友に、現代に来たとしても「蓮っ葉」と言えるレベル。 所帯じみていることもあって、ぜんぜん未婚のお嬢様に見えない。 加えて、ジキルとリザの関係がどう見ても恋人に見えない。 なんというか、「結婚して10年、一人目の子供もそろそろ手がかからなくなってきたからそろそろ二人目が欲しいわ」という 感じというか、とにかくそこそこの年数連れ添った上で、まだ出会った時の情熱が消えていないという感じ。 愛はあるけど、熟しすぎですよ、あれは。 そりゃ、この二人の間に愛が無いよりは夫婦に見えたほうがましだけど、 でも、あの遠慮の無さと言うか、べたべたしすぎの部分はどうにかしてほしかったです。 愛が無い二人に辟易したところでようやく出会えた愛のある二人だったのに、もったいない!
 話をジキルのことに戻しますと、今迄で一番腹の立たないジキルでした。 Thomasであろうと誰であろうと、少なくとも「友人の話くらいちゃんと聞け!」と思ってしまうんですよ、 今まで出会ったジキルは頭の回転が速そうでしたから。 けれどこのジキルは微妙に頭の回転が遅そうで、ひとつのことを考えたらほかの事を考えられないような雰囲気がありました。 だからアターソンの忠告を聞いていなかったり、リザの苦悩に気づいていなくっても、まあ彼なら自分のことで手一杯でも 仕方ないかなと思えたんです。 普段から、予想外のことが起こるとてんぱって頭が回らないというような感じでしたし。 そういうところがなんか不器用でかわいかったので、人の話をさっぱり聞いていなくってもなんだか許せてしまったのでした。

 役者によってジキルとハイドの関係というのは異なってきますが、 この作品ほどはっきり「ハイドはジキルの一部」と感じられたことはありませんでした。 誰にでも「むかつくやつをぼこぼこにしたい」という思いはあると思います。 それをしないのは、ちゃんとそれをとめる理性が働いているから。 この作品の「ハイド」は間違いなくその理性の一線を越えたところの存在でした。 「ぼこぼこにしてやりたい」と思ったとして、普通はやらない以前に具体的な方法も考えないと思います。 でも、その思いのままにもし体が動いてしまったら。 理性的に、思考的に、体力的に実際には決してできないことができてしまったら。 そうしたらきっとハイドのようになるのではないのか、そう思えました。
 ただ、問題はそのハイドに残虐性が感じられなかったこと。 殺人の方法がリアリティに欠けるんで、全然殺したように見えない。 ビーコンズフィールド夫人は刺殺で、後は首絞め関係だと思います。 その流れがリアリティがなく、死んだようにどうしても見えない。 頭の中で妄想した「ぼこぼこにしてやりたい」から一歩も出てないんです。 頭の中の展開だけだったら何も汚いところはなく、すっきりして終わりだけど、現実はそうじゃない。 人が死ぬときの残忍性って、そんなものじゃない。 血が流れる、抗う被害者を押さえつけ、命を奪う、そんな残忍さがある。 それが表現できていなければ、ハイドは結局、おっとりしたおたく学者の想像した「悪い奴」でしかない。 だから、本来ならやっていることは残忍であるはずなのに、残忍性を全く感じませんでした。 ハイドの凶悪さとか残忍さが表に出てこなければ、この物語って成り立たないと思うので、これはとても残念でした。
 とはいえ、ジキル&ハイド役者の演技は素晴らしかったと思います。 ジキルはハイドが自分であることを知っていたし、また、ハイドは自分がジキルであることを知っていた。 ジキルが、気が弱くってさえないジキルが、ハイドというか・・・彼のように解き放たれた存在に 憧れるのは分からなくない。 そしてその憧れから生まれたハイドが、ジキルを嫌うのも当然と思えました。
 好きなのはハイドからジキルに変わるシーン。 ハイドの姿をしていても、一瞬でジキルに戻れるあたりはさすがです。 ハイドとして極度の興奮状態にあったのに、次の瞬間おとなしいジキルに戻っている。 圧巻だったのはルーシーを殺した後。 狂ったように声を上げて笑い、笑い続け、そして次の瞬間、いきなり興奮が冷めたようにジキルの顔に戻る。 理性を持たない人間から理性を持った人間に戻った瞬間を見たような気がして、ぞっとしました。 そのときのハイドの顔は、笑い声はジキルと全く違ったのに、ジキルに戻った瞬間、ハイドがジキルの一部であると 自然に感じられました。
 こんなジキルだから最後の結婚式のシーンで「僕たちを自由にしてくれ!」という叫びにつながる。 物語の流れが、ここに終結していると感じられたのは初めてです。 ジキルにとってハイドは他人でないから、自分を滅ぼさない限りハイドを滅ぼすことはできないと知っているようでした。 ジキルはハイドを自分の中の一部と知っていて、それでもその存在を嫌悪しているように見えました。 私にとって、それが唯一の救いでした。 本当にいい人なんです、このジキル。 けれどその心の中に悪魔が住む余地があると思えたあたり、このミュージカルのテーマに沿ったジキルだったと思います。
 と、ジキルだけ見れば魅力的なラストシーンになりそうなのですが、 全体を見てみると明らかにジキルだけが熱演してて、他が冷めすぎ。 ラストのあたりなんて、本当に棒立ち棒読みの連続で、猿芝居にしか見えなかった・・・。 惜しかったのがアターソン! このアターソン、特に1幕は魅力的でした。 久々に出会った、ジキルと年恰好の近い友達! 肩を組んで歩いている姿なんて、まさに「そのもの」。 ジキルはアターソンのことを頼りにしているし、アターソンはジキルのことを手がかかるけどいい友人だと思っている。 ジキルがアターソンに愚痴を言い慣れていて、アターソンがそのグチを聞き流し慣れているという感じが なんとも魅力的でした。 リザとの距離感もそこそこ近くって、仲の良い3人組といわれてもそんなに違和感がありませんでした。
 ところがこのアターソン、物語の後半になると演技を忘れてくれましてね・・・。 ジキルがハイドであることを知って、ルーシーの家まで手紙を届けに行こうとする。 その時の台詞を見事に棒立ち棒読みしてくれました・・・・。 ジキルのことをとても大切に思っていてくれる素敵なアターソンだったので、これは結構ショックでした。
 結局この「演技指導されてないの?」と言いたくなるような存在感は最後まで続きました。 ラストシーンの流れはBWに近いかな。 ハイドは隠し持っていたナイフでサイモンを刺殺。 このとき死体からナイフを回収しなかったために、アターソンがそのナイフを拾ってハイドを脅す・・・という流れでした。 あれ、ハイドはどうやってリザを人質にしたんだ? まあ、とにかく、ちゃんと最後まで演出する気があったんだか無かったんだか分からないへぼいラストシーンでした。 このシーンを緊張感を保ちつつ演出するのって難しいのかと、しみじみ思いました。

 そんなわけで、ジキルとハイドの関係性が見えて面白いことは面白かったんですが、あまりにいまいち過ぎるところが 多いのが残念でした。 話の流れでは触れなかったルーシー、さすがにうまかったです。 ただ、リザはジキルが良ければ引き立つし、ルーシーはハイドが良ければ引き立つ役なんで、今回はいまいち。 ルーシーとハイドの関係の描写があまりにも露骨過ぎたんで、ちょっと引き気味だったというのもありますが・・・。 もうちょっと曖昧な方が好みです。 場面自体は短かったものの、ジキルとのシーンのほうが印象的かもしれません。 ショーでジキルにかまって・・・というか、おくてな学者をからかって笑っている場面が妙に印象的。 ジキルが、本当に場に不釣合いにもほどがあるだろうというほどぼさっとしてるんですもの。 思わずかまいたくもなります。 そんなジキルを見て、コケティッシュに笑うルーシーも、本当に魅力的。 この2人のシーンでは、ジキルはぼやぼやしているうちにルーシーの寝室まで連れ込まれます(笑)。 誘いかけるようにてが伸ばされて、困り果てた挙句に手にあったグラスを渡すジキルが本当にかわいい。 ルーシーが何を言わんとしているか分からないんじゃなくって、分かるんだけどどう断ったらいいかわからなかったから そんな素っ頓狂な行動をしたというところが、本当にかわいい。 特別魅力的ではない、頭がいいわけでもない、ただ、とても温かい人だから、ルーシーが惹かれたのも分からなくはありませんでした。 ジキルは誰でも魅力的に思える人ではありませんでした。 でも、リザがジキルに惹かれるのは分かったし、ルーシーがジキルに惹かれるのも分かった。 そういう意味で、このジキルは良かったと思います。 あ、またジキルの話になった。 どうしてもジキルのことを語りたくなってしまうくらい、私にとってこの作品は「ジキルの物語」でした。
 ちなみに、ハイドに惹かれる過程が分かりづらいというかなんと言うか・・・。 ハイド自身突き抜けた魅力がないと言うか・・・。 上半身裸にコートという、なんともマニアックな格好はおもしろいとは思いましたし、野性味を演出するには 悪くないとは思いましたが、いかんせん迫力不足。 悪人としての黒さはあったので、もっとセクシャルな魅力が欲しかった。 あと、演出の上での残忍さが出ていれば、この物語ももう少しまともに見られたかもしれません。

 一つ面白い演出だと思ったのは、ジキルの研究室が地下室だったこと。 1メートル×4メートルくらいの長方形のせりが2メートルくらいせり上がって、そこが研究室になっているんです。 ことあるごとに地下室に降りていったり、地下への入り口からぴょこりと顔を出しているジキルがかわいかったです。 そこだけどこかSFチックな色合いの地下の研究所というのは、それだけで胸がときめきます。 一番好きだったのはアターソンがジキルに手紙のことを問いただしに来たとき。 無遠慮に足で地下室へのドアを叩くアターソンの「ヘンリー」という呼びかけは、親友を信じているから心配する 風情がありました。 こういう、飾らない関係が垣間見れたから、このアターソンは好ききなのです。 例え最後がいまいちであったとしても・・・。 そうそう、ジキルが手書きを渡したあとも、足で地下室の入り口をふさいでジキルが部屋に戻ることを阻止したり、 この地下の研究室はなかなか面白かったです。 リザが脅えながら研究室を見ている姿も、どこか空恐ろしくって胸がざわめきました。

 というわけで、部分部分はよかったんですよ、この作品・・・・。 ジキルの演じ方も「こういうのがあったか!」と思えるものがあったので、もう一度見てみたいことは見てみたいです。 そのときはせめてあの不気味なメイクだけでもどうにかしてくれないかしら・・・。
 一番残念だったのは、ウィーン版で大好きだったBetrachtungenやDie Welt ist völlig irrが聞けなかったこと。 曲目はドイツ版より東宝版に近い感じがしました。 Die Welt ist völlig irrは一体どこで聞けるのでしょうか、この歌大好きなのに・・・。

 おたくなジキルがかわいくって、ジキルとアターソンの関係性が理想に近いJ&Hでした。 さあ、またどこかに見に行くぞ!!



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