Der Graf von Monte Christo
2009/03/16
Theater St.Gallen

Edmond Dantés / Graf von Monte ChristoThomas Borchert
MercédésSophie Berner
Fernand Mondego / Graf von MorcerfCarsten Lepper
Gérard von VillefortChristoph Goetten
Baron DanglarsKarim Khawatmi
Abbé FariaDean Welterlen
JacopoKurt Schrepfer
Albert von MorcerfDaniel Berrini
ValentineBarbara Obermeier
Luisa VampaAva Brennan
MorrelAndré Bauer
EnsembleSuzanne Carey
Caroline Frank
Ina Nadine Wagler
Simon Eichenberger
Matthias Förster
Jochen Schmidtke
Patrick Stamme


あらすじ
(原作と特に後半部が違うので結末までのあらすじを記載します。 見たときの感覚、プログラムのあらすじ(英語版)、原作の知識で書いていますが、もし間違っていたらごめんなさい)
 若き船乗りのエドモンド・ダンテスは故郷の港に帰ってきていた。 彼の船の船長は病に倒れ、彼は船の持ち主であるモレル氏から船長に昇格することが告げられていた。 やがてエドモンドの帰りを待っていた婚約者のメルセデスと二人の門出を祝うパーティーが催される。 若く幸せな二人を妬ましい目で見る者がいた。 メルセデスを愛する若者フェルナンと自分より若いエドモンドが船長に昇格することが許せない 船の会計士のダングラースである。 二人の画策により、祝宴の最中にエドモンドは憲兵にナポレオン党の人間として捕らえられてしまう。 確かに船長から手紙を受け取っていたエドモンドではあるが、当人にとっては預かり知らぬことである。 何事もなく解放されるかのように思われたが、手紙の宛先は検察官のヴィルフォートの父親であった。 彼の保身のため、エドモンドの投獄が決まる。 無実を訴えるエドモンドの叫びも、帰りを待つメルセデスの祈りもむなしく、時が流れていく。 数年後、牢獄の地下から脱獄を計画している囚人のファリア神父が現れた。 知識人であるファリア神父からエドモンドは学問を習い、二人は脱獄のために穴を掘り進める。 しかし、ファリア神父は病に倒れる。 死の直前、ファリア神父はエドモンドにモンテクリスト島にある財宝の在処を教える。 エドモンドはファリア神父の遺体を納めた布袋に潜み、脱獄を果たす。
 脱獄を果たしたエドモンドは、ルイザ・ヴァンパという女首領の率いる海賊の船に助けられていた。 決闘の後、ルイザ・ヴァンパと配下のジャコポの信頼を勝ち得たエドモンドは、モンテクリスト島に向かう。 そこにはファリア神父の教えたとおり、巨万の富が眠っていた。
 一方メルセデスはフェルナンと結婚し、アルベールという一人息子をもうけていた。
 富を得て「モンテクリスト伯」を名乗ったエドモンドは自分が牢獄にあった時間に何が起きたかをジャコポに  調べさせていた。 父が死に、メルセデスとフェルナンが結婚したことを知ったエドモンドは、 自分を陥れた3名に復讐することを誓う(1幕)。
 ローマでの謝肉祭。 遊びに来ていたアルベールは見知らぬ娘に誘い出され、賊に捕らえられる。 繋がれたその場には、同じく捕らえられていた男、モンテクリスト伯がいた。 モンテクリスト伯は縄を抜け、アルベールも逃がそうとするがそのとき賊に気づかれてしまう。 モンテクリスト伯はアルベールを先に逃がし、自分は後を引き受ける・・・が、 その賊とはルイザ・ヴァンパ一味であり、全てはモンテクリスト伯が仕組んだものであった。 彼は逃げ延びたアルベールと落ち合うと、いずれパリで彼の家に招待してもらう約束を取り付ける。
 パリでの舞踏会。 モンテクリスト伯は素性を隠し、アルベールに招待される。 ヴィルフォート夫妻、ダングラース夫妻、アルベールとその恋人ヴァランティーヌ、 そしてフェルナンとメルセデスとそれぞれ挨拶をする。 メルセデスだけモンテクリスト伯こそエドモンドであると気づくが、彼はそれを否定した。 そしてモンテクリスト伯は自分を陥れた3人に復讐をしていく。 ダングラースは逮捕、ヴィルフォートは自殺(逆かもしれません)、そしてフェルナンは破滅に追い込まれる。 アルベールは自分の父親を陥れたモンテクリスト伯に決闘を挑む。 メルセデスが哀願するのも聞かず、モンテクリスト伯は決闘に赴く。 先にアルベールが撃つが外れる。 そこへヴァランティーヌが駆け込んできて彼をかばおうとするが立会人に止められる。 二人の姿を見たモンテクリスト伯は空に向かって銃を撃つ。 決闘は終わり、アルベールとヴァランティーヌは二人で去っていった。 アルベールとの決闘を終えたモンテクリスト伯を待っていたのはメルセデスであった。 立ち去ろうとするモンテクリスト伯・・・エドモンドをメルセデスは引き止める。 そんな二人の前に立ちふさがったのは復讐に燃えたフェルナンであった。 剣による決闘の末、エドモンドはフェルナンに勝利する。 そしてようやくエドモンドとメルセデスは二度と離れないと誓い合う。(2幕)

 注)原作読了前の感想です。 ミュージカルの筋(特に後半)が原作と全く違うことには気づいてません。

 近頃ワイルドホーンは新作を量産しているのであまりありがたみがないのですが(苦笑)、 「世界初演」のプレミアの次の公演を観劇しました。 別に早い時期に見たかったというわけでなく、日付的にここ以外合わなかっただけですが(苦笑)。
 この劇場に来るのは「ドラキュラ」以来二度目です。 段差が少ないコの字型のちょっと変わった形の劇場です。 オケピットが前にせり出てるため、7列目でも10列目以降の距離を感じました。 収容人数は800人ほど(席の番号が通番になっているため分かりやすい)の中規模の劇場です。 せりやぼんが特別あるわけでもない、欧州にしては地味な、日本にはありがちな劇場だと思います。 でも、舞台の割には客席が少なく一体感があり、ロビーが広々してるのが日本と違うところ。 うらやましいです。 あと、この劇場欧州の劇場では珍しくクロークが無料 (チケットにクローク代が含まれていると言った方がいいのかな?)です。

 肝心の舞台の方ですが、キャストが変わってしまったらどこまで見たいと思えるか謎ですが、 このキャストで見るなら大変楽しかったです。 脚本にも音楽にも演出にも言いたいことはたくさんあるのですが、それを押し殺しても「楽しかった」と言える魅力がありました。 来シーズンも上演の予定はあるようなので、できればまた見てみたいです。 (次の観劇予定はEisenachの聖女エリザベートかモンテクリスト+ブダペストTdVかそれともモンテクリスト+ウィーンTdVか悩むところだ・・・)
 一番つっこみどころは結局あらすじでストーリーが終わってしまったところ。 見ていてストーリーとしてはエドモンドの復讐心をどう浄化するかがテーマというのは分かったのですが、この「復讐」の部分はもっと掘り下げないと最後にカタルシスが得られないのではないかと思いました。 このあたり、もしかしたら公演が続くと良くなっていくのかもしれません。 フェルナンへの復讐心に的を絞ると、アルベルトとの決闘がもう少し生きたのではないかと思います。 たぶんここでエドモンドが空へ向けて発砲するところがこの作品のクライマックスの一つだと思うので、そこをもっと生かすように脚本と曲を作ってほしかったのが本音です。 その方が、決闘の後のエドモンドのソロが生きると思うので。 このソロがとても良かっただけに、それをもっと生かすように作ってほしかったと思います。
 もう一つ問題なんじゃないかと思ったのがフェルナンの役作り。 この話のメインはエドモンド、メルセデス、そしてフェルナンだと思うんですが、フェルナンだけが幕開きから終幕までほとんど変わらない。 Thomasが「そりゃ無茶じゃないか?」というような若作りをしてメルセデスが芯の強い幸福な娘であるときも、エドモンドが年を経て面差しが変わってしまいメルセデスが成熟した貴婦人になったときも、フェルナンは変わらない。 若いけれど陰鬱とした思いを胸に抱く身分の高い青年。 そうとしか見えませんでした。 フェルナンって最初はそこそこ身分が低かったと思うのだけど・・・。 この辺は実はビルフォートも同じなのですが、こっちは変わらなくてもそんなに物語に影響を与えているように思えませんでした。 ダングラースは身分が変わったので年はともかく雰囲気は変わってました。 フェルナンは年も身分も変わってないみたいで、特にエドモンド、メルセデスとそろって3人並んだときに違和感がありました。 最初はエドモンドと同じ年頃メルセデスのお兄さんくらいだったのに、最後の方はアルベルトのお兄さんエドモンドとメルセデスの年の離れた弟かもしかしたら息子?という感じになってました。 これが結構ラストシーンに悪い影響を与えてたと思うんですよねえ。 エドモンドとメルセデスがちゃんと年を取ってるのにフェルナンだけ若くって、その分話からはじき出されている感じがしました(このことについてはいくらか誤解があったのですが、そのフォローは2回目の観劇時に)。
 物語に致命傷は与えてませんが少し気になったのがルイザ・ヴァンパのシーン。 とても華やかでおもしろかったのですが、曲といい雰囲気といいその他のシーンと全く雰囲気が違い、なんだか異世界にいる気分でした。 そこにエドモンドが入っても何となく雰囲気がマッチしなくって、ちょっと居心地が悪かったです。 もう一つつっこみたいのがモレルさんのこと。 André Bauerがキャスティングされてるからそこそこ重要な役かと思えたのですが、実際は脚本を作っているうちにあったはずのソロが消されたんじゃないかというレベルでした。 名もなきアンサンブルのエドモンドの父親並に登場シーンが少ないです。 これはもったいないというか、もっと仕事を選んでくれというか・・・なんか微妙な気分になりました。

 元々原作が大長編(ただ、新刷の文庫版はもはや腹立たしいレベルで読みにくいほど余白が多いせいで巻数が爆発してはいるのですが)であるためもあり、冒頭は時代背景と簡単なあらすじから始まります。 それでも序曲の中で結局はエドモンドの一生を決定づける手紙を病身の艦長から受け取るという一連の流れは出ていました。
 最初のThomasは若い船乗りエドモンド。 パンフレットの写真を見たときから薄々感じてはいましたが、色々無理があるぞ、それは! 色々問題はありましたが、一番の問題はかつら。 ふわふわの巻き毛が彼に合わない合わない。 そういえばドラキュラの若いときのカツラも格好悪かったと今更のように思い出してしまいました。 ただ声は少し若い感じで、写真で見たときよりは無理はありませんでした。 難を言えばどこか分別のある大人という気配があって、もうちょっと子供っぽく喜んでも良かったのではないかと思えてしまったというあたりでしょうか。 この辺りメルセデスはうまいもので、本当に若く初々しい娘さんに見えました。 原作からそうである通り、幕開きから物語はクライマックスという感じです。 幸せな若いカップルという、今春真っ盛りという雰囲気は良く出ていたと思います。 お互いに二人しか見えていないということに無理はなかった。 もう少し二人の間に愛情がほしいので、この辺りは先々に期待という感じです。
 フェルナンはこの時からかなりかっちりした服を着ていて、どちらかといえば品があるために皆から浮いているように見えました。 ダングラースは柄が悪くって底意地が悪そうでOK (歌が微妙に音を外していた気もするけど、まあ許容範囲)。 モレルさんは品のいい紳士という感じで、この先どんな活躍をしてくれるか楽しみでした(そしてこのシーンで彼の出番は終わる)。 エドモンドとメルセデスを祝っている場面でなにやら悪巧みをしているフェルナンとダングラース。 やがて警官がエドモンドを探しにやってきます。 この時のエドモンドとメルセデスが本当にあっさり別れてしまうのが、すぐに戻ってくるというエドモンドの言葉と相まってもの悲しい。
 ビルフォートのところに連れ出されたエドモンド。 図体が大きいのにおっかなびっくりしているところがらしいなと。 最後にエドモンドがビルフォートに手紙の宛名・・・すなわちビルフォートの父の名を口にし、彼は投獄されることになります。
   フェルナン、ダングラース、ビルフォートの三重唱。 前者二人はともかく、ビルフォートは二人とこの時点で接点はあまりないはずなので微妙に違和感がありましたが、後々考えてみるとこの三人を一つにしてしまう方が話をまとめやすかったのだと思います。 この三人並んだ姿はこの後も何度か出てきます。 曲としてはいかにもワイルドホーンだなあと。 ただせっかくの男性の三重唱という珍しいものなんだからもう少し盛り上げて欲しかったです。 盛り上がりそうで盛り上がら曲調で、少しストレスがたまりました。 ちなみにここで手紙を燃やすというシーンがくるのですが、まさか本当に火を使って燃やすとは思わなかった! この辺り、日本とは消防法が違うんでしょうね。
 舞台の奥はエドモンドの牢獄の世界。 舞台手前はメルセデスの住まう外の世界。 この辺りの使い分けはきれいで好きです。 なにも知らずただエドモンドが戻ることを願い祈りを捧げる。 むち打たれ、焼き印を押され、先ほどまで幸せの絶頂にあったはずの青年はどんどん転げ落ちていく。 真っ直ぐな眼差しをしているだけに、理不尽な仕打ちが痛々しい。 メルセデスは少し弱々しくなりながらも祈りを捧げてます。 そんなメルセデスに手を差し伸べるフェルナン。 舞台の奥で苦しんでいるエドモンド、彼がこうなるとわかっていたのにメルセデスに優しい言葉をかける彼の善人面が腹立たしい! 全く違う世界を両方見ることができてこの流れはいいと思いました。
 牢獄の中でエドモンドは過ぎゆく一日一日を数え、徐々に絶望にとらわれていく。 だんだん年をとっていくというのでしょうか、徐々に最初はあった希望を失っていく。
 そこへファリア神父の登場です。 もっと聖人のような人が出てくると思ったら、陽気な浮浪者のおっちゃんのような人が出てきました。 「陽気なきちがい」と原作でも言われていましたから、これはこれでありなのかな? 暗さの影も見せずに「私は8年もかけて間違ったことをした!」と笑いながら言います。 その屈託のなさのまま、呆然とするエドモンドに話しかけます。 「名前は?」「君の本当の名前だ」「エドモンド・ダンテス」このやりとりが特別好きです。 なにも飾ることない神父の言葉が、エドモンドに彼には彼の名前があると思い出させたように見えました。 これを境にエドモンドの目の色が変わる。 絶望に染まっていた眼差しが元の明るさを取り戻す。 この辺は話の流れ上仕方ないのかな、あっさり神父はエドモンドにあれこれ教えようと話をします。 二人は肩を並べてなにやら話しながら(歌いながら)穴を掘り進めていきます。 この何とも奇妙な明るさ物語の中で一つの救いになっていました。 神父に腕の力を付けろと言われたのかな、なんかひたむきに何かを投げては取る練習をするエドモンドの穏やかな横顔がかわいい。 ところが穴を掘っていたのに銃撃でもあったのかな?その衝撃で穴が埋まってしまいます。 そして命を落とすファリア神父。 短いシーンでしたが二人とも相手がいることを心から楽しんでいるのが分かったため、こんなことになってしまったのがとても悲しい。 Thomasの髭面に澄んだ眼差しという姿もとても魅力的だったし。 ・・・まあ、その髭面がまた妙なカツラで似合ってないような気もしたのだけどね。 さてその後エドモンドは自分の牢獄に戻り、囚人をいたぶりにきた看守を逆に気絶させると彼を地下通路に隠し、自分はファリア神父と一緒に彼をくるんだ布の中にくるまります。 この演出が謎。 本来なら「神父を通路に隠す、もしくはエドモンドの部屋で寝てるふりをさせ、自分は神父の代わりに布にくるまる」が正解じゃないかと思います。 さすがにいかなるぼんくらでも一人と二人の重さの違いは分かるよ(苦笑)。 看守を地下通路に隠したのも謎です。 そして海に放り込まれるエドモンド。 水音だけで終わるかと思ったら、舞台の天井から布が落ちてきて、そこから人(エドモンドの格好をしているおそらくダミー)が出てきてまた舞台上部まで泳いで戻っていきました。 凝ってはいたけど、微妙に助長だったと思います。 あと、上記と矛盾するように布の中には神父はおらずエドモンドしかいなかったというのも気になりました。
 そしてエドモンドが泳ぎ着いたのは女海賊ルイザ・ヴァンパの船(原作ではルイジ・ヴァンパと言う山賊だったとつっこむべきなんだろうけどなんか疲れたんでどうでもいい)。 海賊だから時代考証とか多少は無視しても許されると思いますが、それにしてもいつの時代だか首をひねりたくなる現代的な格好をした海賊さんたちでした。 前日のハンガリーの「真夏の夜の夢」の続きかと思った(笑)。 海賊たちの踊りといい雰囲気といい、他のシーンと浮き上がりすぎかなというのがちょっと気になりました。
 エドモンドはジャコブと勝負をする。 武器を持たずに戦い始めたのに結局エドモンドの勝利で終わり、彼はジャコブの忠誠を得ます。 名前を聞かれて「エドモンド・ファリア」と答えたのが、何とももの悲しかったです。 そしてルイザ・ヴァンパにも気に入られたエドモンドは一路モンテクリスト島へ。 島のシーンではゆらゆらと揺らめく照明が宝石の輝きのようで美しかった! この宝を得て新たな人生を歩みだそうとするエドモンド。 そのときファリア神父を失って暗くなっていた彼の眼差しが、別の意味で何かにとらわれるように暗くよどんだのが印象的でした。
 ところ変わってフェルナンとメルセデス、そしてその子供アルベルトの話。 出てきた瞬間、メルセデスが余りにもすばらしい貴婦人だったのでびっくりした。 さっきまで年若い娘そのものだった彼女がいつの間に!? アルベルトもそこそこ年のいった青年で、流れ去っていたときの長さを感じさせます。 メルセデスは落ち着いた感じでアルベルトは若くて浮かれた感じ。 若いっていいなあ。 一方フェルナンは酒びたしでくたびれた感じはするものの、流れていった時の長さを感じさせてくれなかったのが残念。 アルベルトの態度を見ていれば彼が父親だと分かるけど、彼単体では大きな子供のいる年頃に見えないのが残念。
 巨万の富を手に入れたモンテクリスト伯は豪奢な暮らしをしているようだけど、やはり目に輝きがない。 特に若い娘さんを侍らせているシーンはむしろ不気味な感じすらしました。 きれいな子がいっぱいいるのに、楽しんでいる素振りさえ見せないんですもの。 JCSのヘロデ王のシーン(四季のエルサレム版)と違うところといえば無表情じゃなくって憮然とした顔をしているところだけというくらい。 特に感情もなく何となくそうしているといった風情でした。 娘さんの一人がモンテクリスト伯の上着をはだけようとして、そこに焼き印があるのを見つけて手を引っ込めたようなレベルなのです。 そしてジャコブが彼に父の訃報とそのほかの人々の現状を伝えにくる。 真実を知ったモンテクリスト伯は自分を落としいてた人々に復讐を誓います。 もうこのシーンはいかにもワイルドホーンでした(笑)。 「In to the fire」に似た感じで、地獄からの叫び声のように聞こえました。 実際の炎を使った演出はおもしろいかもしれないけど、スクリーンに炎を映す演出はいまいちおもしろくないと思いましたが・・・。 ここはかなり見せ場だと思うけど、何故オリジナルキャストのThomasの声にはこの曲の音程は低いと思えるのだろうか・・・。 もう少し高い方が歌いやすく聞き応えのある音域だと思います。

 ここまではあらすじでも仕方ないかなと思うのです。 それこそ大長編小説を原作とするのミュージカル代表作レ・ミゼラブルのようにここまではあらすじになってしまうのも仕方ないかなと。 この後にどれだけ話の軸があって深みを出せるかが名作と凡作の違いかなと。

 さて二幕です。 お祭りで女の子の色香に惑わされて捕まったアルベルト君。 捕まったところには何故かモンテクリスト伯もいます。 この時、彼は珍しく穏やかな瞳をしています。 なんやかんや言葉を交わしているうちに、モンテクリスト伯は縄抜けに成功。 武器は取られていなかったので見張りの黒ずくめの男たちと対決! 一対多数のフェンシングというのはなかなかおもしろかったです。 そしてアルベルトだけ逃がすモンテクリスト伯・・・と彼が逃げたのを確認するとやれやれとばかりに黒ずくめの男たちと一緒にほっと肩を落としました。 ぐるかい! 結局ルイザ・ヴァンパ(気っ風のいい姉御で好きだ!)を巻き込んでアルベルトを捕らえて逃がすという芝居を興じたようです。 これでアルベルトにとってモンテクリスト伯が命の恩人であり友人になるのかと納得いたしました。 そしてモンテクリスト伯は彼の招待を受ける約束を受けます。 その他の役では感じませんでしたが、アルベルトだけはJesper(CDのキャスト)で見たいと思ってしまった。 このキャストでも悪くないけど、Jesperの方がThomasの声に合うかなと。
 そしてパーティーが開かれます。 時間短縮のためかその場にはフェルナンはもちろん、ビルフォートやダングラースもいます。 皆が噂する中モンテクリスト伯の登場。 舞台奥に影が浮かびあがり、どう出てくるかと思えば 気が付いたら舞台中央にいるという演出。 古典的なやり方だけどびっくりできたのでよし。 しかしこの場面で男性陣はみなさんちょっと時代がかった感じのカツラをつけているのにどうしてThomasだけ少々刈り込んだ感じの地毛なのだろうか・・・。 場の雰囲気にそぐってませんでした。 むしろ何かの罰ゲームかと思いました。 そしてモンテクリスト伯はエドモンドにとって縁のある三人に挨拶していきます。 (この辺りから原作で読んでない部分に突入) どちらかといえばふてぶてしいような不遜な態度のモンテクリスト伯。 うーん、原作では穏やかで聖者なような面差しの奥に復讐心を隠してると感じたのですが、こちらでは平然とした顔で出会い頭に相手をやりこめたりして、ちょっと好感を抱けない感じがします。 最初の二組に挨拶している間中、メルセデスはモンテクリスト伯の様子をうかがっています。 そして彼と対面したとき、メルセデスはすぐに彼がエドモンドであると気づく。
 今もどこか幸福でなさそうなメルセデスは、フェルナンと結婚したことを後悔しているような、今でもエドモンドを愛しているのがすぐに分かりました。 でも、モンテクリスト伯にとってそれは全て終わったことのようでした。 メルセデスとの間にあった愛を否定する様子は安らぎを否定するように見えて、その頑なさが哀れでもあった。
 そしてモンテクリスト伯は誓ったとおり復讐を実行していきます。 ここで散々出ている三人を全員を一気にまとめてなにがあったかが語られます。 このときの背景のスクリーンに目のアップが移るのがなんか遙か彼方から見つめられてるみたいで不気味でした。 それにしてもこのシーンでフェルナンが変わってないのがつまらないというか・・・。 復讐劇はあっさりとモンテクリスト伯の思惑通りに進み、それぞれが別の方法で破滅したのがわかります。 これはこれで分かりやすくおもしろかったんですが、フェルナンだけは個別の曲を用意した方がよかったんじゃないかと思います。 やっぱりフェルナンはほかの二人と違うので、そこくらいは掘り下げないとあらすじのままじゃないかなと。 結局その後アルベルトがモンテクリスト伯に復讐を誓うわけですから、ここでモンテクリスト伯、フェルナン、アルベルトの関係をしっかり描いて欲しかったと思います。 ヴァレンティーヌのソロは一途で聞き応えがあったけど、それよりもフェルナンの曲が欲しかった。
 この物語のクライマックスはなんだかんだいってモンテクリスト伯が決闘のシーンで銃を天に向かって打つシーンだと思います。 諦めるでもなく誰かに強いられるわけでもなく彼は彼の望みを曲げた。 そしてそれによって彼は救われた・・・という筋だと思っています。 その物語の流れを生かすにはフェルナンへの恨みの深さを描くべきでしたし、それにはこれから役者さんたちがどうこうするものではなく、脚本に織り込むべきことであったと思います。 フェルナンへの恨みと復讐、アルベルトの復讐、そしてメルセデスが止めても聞かなかったモンテクリスト伯の凍った心。 この辺りの物語が描かれていれば「あらすじ」のままで終わらなかったんじゃないかと思っています。 時が流れてもメルセデスは彼を愛し待ち続けてくれたのももちろん大きかったと思いますが、それは彼が自分で自分を救った後でようやく気づくことができたのですから、その「自分で自分を救う」ことをもっと書いて欲しかったです。 メルセデスが痛いほどエドモンドを愛し続けていたことは見事に描けていたため、そのあたりがもったいなかったです。
 決闘のシーンというのは好きです。 全てが儀式のように進められていく、まもなく二人のうちのどちらかが、もしかしたら両方が死ぬかもしれないのに。 どこか滑稽なまでのその様子。 アルベルトは先に撃ちますが、外します。 モンテクリスト伯が撃とうとするとヴァランティーヌが駆け込んでくる。 結局彼女の様子によって心が変わったのか、モンテクリスト伯は銃を天に向かって撃ち、その決闘は終わります。
 何故このシーンがクライマックスかと思うと次のシーンのモンテクリスト伯が「エドモンド」に戻ったと思えたからです。 ファリア神父を失ってからずっと暗い目をしていた彼が、穏やかな眼差しで全てを受け入れたように見えて、なにもかもこれで終わったと思えました。 これで彼はようやく救われたのだと思えるラスト。 復讐を果たすことでは救われず、それを押さえることによって救われるって十分大きなテーマになることだと思うんですが、ここまで来ると私の妄想というしかないほど舞台の筋からはずれてます(苦笑)。 でもこの後のモンテクリスト伯のソロは作品にそれだけのスケールを織り込める可能性を感じられたのですが・・・色々もったいないです。 穏やかな眼差しをしているエドモンドを見ていると色々感じるものはあったのですが、その分もったいなさも感じずにはいられませんでした。 でも、なんだかんだいいつつ好きなシーンです。
 そしてエドモンドに戻った彼を待っていたのはメルセデス。 これでようやく幸せになれるのかとほっとしたら、フェルナンがやってきます。 繰り返し言ってますが、なんでフェルナンは二人の子供くらいの年齢に見えるんだろうか・・・。 今度は彼が1幕最後でモンテクリスト伯が歌った復讐も歌を歌うシーンです。 このシーン曲もかっこいいし、せっかく歌のうまい役者さんが二人そろってるんだからフェンシング中心よりもう少し重唱を入れて欲しかったんですけどね・・・。 これもまたもったいない。 そして決闘はエドモンドがフェルナンに勝利し、彼を解放する形で決着した・・・と思いきやあきらめの悪いフェルナンは再び剣を取りエドモンドの背中を傷つけます。 しかし結局はエドモンドが勝利します。 この結末は近頃ありがちなので、もう少し居見せ方を工夫して欲しかったなと思います。 主役を傷つけずに悪役を倒す便利な方法だからね。
 そして最後は1幕で二人がそれぞれ別の場所で相手を思って歌った「Niemals Allein」をようやく二人で歌い、終わります。 ようやく二人で肩を並べることができたという喜びと、この曲はラストを飾るのにふさわしいものかと悩みを抱きながら見ていました。 ハッピーエンドの物語の最後の曲の割には不吉な感じのする曲なので。

 というわけで楽しくないわけではなかったのですが、何か色々問題点があってもったいなかったと思ってしまう作品ではありました。
 しかし一応初日と言うこともあったのでしょうがカーテンコールの盛り上がり方がすごかった! 私が今まで見た中では一番かもしれないという盛り上がり方です。 拍手と歓声と指笛の音がすごくって、主役が出てきたときはBGMが聞こえないほどでした。 欧州のカーテンコールって盛り上がってもあっさりしていることが多いのですが、それもなく、結構長く盛り上がったカーテンコールでした。

 セットは簡素なりに空間の使い方がおもしろく、シンプルでしたがおもしろかったです。 色々脚本と曲の面で問題があったのでこの後どれだけよくなるかはわかりませんが、あれこれいいつつ気に入っています。 来シーズンもやるのでしたら、是非追いかけたいです。 主役が変わったら行くかどうか迷いそうですが(苦笑)。 でも脚本に手を入れてどこか別のカンパニーがやるのもありだと思います。

 見ている間はそんなにワイルドホーンの曲に感じなかったのですが、最後の最後、カーテンコールの後の曲を聴いていたら「ワイルドホーン以外が作曲してる訳がない」と感じられました。 何でなのかちょっと不思議です(笑)。  



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