Rudolf |
2009/03/17 |
Raimund Theater |
Kronprinz Rudolf | Drew Sarich | |
Mary Baronesse Vetsera | Leigh Martha Klinger | |
Eduard Graf Taaffe - Ministerpräsident | Uwe Kröger | |
Kaiser Franz Joseph | Claus Dam | |
Marie Grafin Larisch | Carin Filipcic | |
Kronprinzessin Stephanie | Wietske van Tongeren | |
Moriz Szeps - Zeitungsherausgeber | Kai Peterso | |
Edward - Prince of Wales | Dennis Kozeluh | |
Graf Gyula Andrassy | Robert D. Marx | |
Georges Clemenceau | Fritz Schmid | |
Heinrich Vogelsang | Manuel Stoff | |
Wilhelm II - Deutscher Kaiser | Martin Pasching | |
Wiligut - ein Spitzel | Markus Neugebauer | |
Meisner - ein Spitzel | Jan Hutter | |
Mizzi - eine von Rudolfs Geliebten | Kathleen Bauer | |
Ensemble | Silke Braas | |
Alexandra Farkic | ||
Matilda Hansson | ||
Adrienn Krekacs | ||
Leigh Martha Klinger | ||
Maxi Neuwirth | ||
Tinke Ogink | ||
Anja von Geldern | ||
Claudia Wauschke | ||
Niklas-Philipp Gertl | ||
Rory Six | ||
Niran Straub | ||
Swings | Liane Maynard-Schmid | |
Katrin Mersch | ||
Max Niemeyer | ||
Mercus Tesch |
とても困ったことに、この作品をどう見るのが正しいのかよく分かりません。
もしかすると作品自体と異常に相性が悪いのかもしれません。
色々と首をひねったまま終わってしまいました。 この作品の中で、マリーとルドルフだけが子供でした。 他の人たちが現実の世界で大人として戦って生きている中で、この二人だけがまだ夢見がちで頭でっかちな子供の世界で遊んでました。 自分は傷つきたくない、他人を傷つけることは厭わない、自分が欲しいものはいつか手に入る、そんな子供だけに許された世界。 ルドルフは最初、大人になりかけの子供に見えました。 マリーは最初から頭でっかちな子供に見えました。 今日のキャストの方が子供らしくって、ファーストキャストより好きです。 彼女は子供であることが許されると思います、まだそういう年頃だから。 でもそれは羨ましくはあっても、愛らしいとも美しいとも聡いとも思いませんでした。 ただ漠然と「若いってこういうことだよなあ」とどこか同類嫌悪のように醒めた目で見ていました (恋愛要素を除けばここまで自分の若いころを髣髴とさせてあいたたたた〜な気分になるヒロインは初めてかも、若いって色々痛いですよね・・・考え方とか、もう、なんか、色々・・・私もあの時は若かったね・・・)。 マリーと出会い、ルドルフは彼女の隣にあるときは子供でいることを許されることを知りました。 けれど子供であることを許されるのはマリーと共にあるときだけで、ほかの彼の周りにいる人たちは彼に大人になるよう強いてきます。 マリーにとってもルドルフは理想の人でした。 ルドルフは大人なのに彼女のことを理解してくれたから。 それはマリーとルドルフが同じ感性を持っていたからというよりは、ルドルフはまだ内面が子供だったから、彼女と同じ方向を見ていただけなのだと思います。 二人とも同じ、「大人になりきれない頭でっかちな子供」でした。 そして本当の子供であるはずのマリーに対しても、ルドルフの周りにいる大人たちは大人になることを強います。 大人になって何かを割り切ったり、戦って傷ついたりしたくない。 相手を傷つけるのは厭わない、けれど自分は指一本傷つきたくない。 大人になるための階段の手前で、二人は現実世界で大人になることから逃げ、子供のままで全てを終わらせる道を選びます。 戦って傷ついてそれでも生きて何かを手に入れ失う世界への道を、自ら閉ざしてしまいます。 それができたのは二人が互いを愛していたからではなく、子供であることをやめられなかったから、 子供のまま傷つかないで世界を終わらせたかったから・・・。 |
これが私の感じたウィーン版のストーリーです。
美しくもなくロマンティックでもない。
幕開きから虚ろに夢を見ているルドルフの眼差しも相まって、下手なホラーより怖い作品でした。
それはそれで作品としてありだとは思います。
結局最後まで現実を直視することなく、狂気の世界に生きたルドルフ。
そんな狂った彼を象徴するかのように、最後はマリーと二人、笑いながら死んでいきます。
笑いながら死ねる狂気をさわやかな音楽と共に楽しむ、そんな作品も成り立つと思います。
ただ、「さわやかな狂気」を楽しむには休憩込みで約3時間という尺は長すぎます。
こちらの精神まで毒されそうな世界に付き合うことにいささか疲れてしまいました。 そう思うと、私の解釈というか感じ方が間違っているのかなと思います。 思いはするのですが、でもDrewの病んだ眼差しというのは半端じゃない。 最初から虚ろで現実が見えてない。 彼がまっとうだというのならあの落ち窪んだ目をどうにかすべきだと思う。 あれがあるためにどうしても彼が病んでいる(肉体的にも精神的にも)ように見えてしまう。 2幕の酒場でのらんちき騒ぎの時に騒がしさを止めるために発砲し、あまつさえ笑ってさえ見せる彼のどこが正気なのだろうか? そんな人が語る「明るい明日」というのがどれほどのものだというのだろうか? もっと彼に同情的であるべきなのかもしれないと見ている間中何度も思ったけど、それこそ絶えず「死」と語らっているような彼をまっとうな人間に見ることができませんでした。 それはそれでありだと思うんだけど、とにかくホラーより怖いんでもう少し短ければ楽しめたと思います。 途中まで来ると怖くておなかいっぱいになってしまい、あまり物語を楽しめなかったのが残念です。 というわけでかなり斜めから見ていた・・・というか見ざるを得なかったために(私はルドルフのこともマリーのことも端から見て好きになる可能性はあっても共感したり 同情したりはできない)ちょっと疲れてしまった観劇でした。 ただ、2回見てよかったとは思います。 1回目よりは全てにおいて好感触で見ることができました。 演出もシンプルだけどおもしろいと思えましたし。 ただすごく「正面」を意識した演出で、少しでもサイドにずれると楽しめないんじゃないかと思ってしまいました。 舞台の使い方が客席に対して直線であることが多いのです。 でもこの劇場は他の劇場と比べて特に2、3階席が円すぎるんですよ。 一階席から見れば問題はないのかもしれませんが、二階三階は円いのだから、そのことをもう少し考えて欲しかったと思ってしまいます。 センターからずれると、魅力が半減してしまうように思えました。 役者さん、オーケストラについても前回とはうって変わって好印象でした。 サイドからセンターに移るだけでこんなに違うものなんでしょうかね? (キャスト表をチェックしてみたら、前回と今回で出演者の数が違うんですが・・・) キャストについてはとにかくステファニーがやっぱり好きだった! ルドルフやマリーとは対照的な人物。 なにも守るものがないマリー、決して失うもののないルドルフ。 対してステファニーの身分を保障しているのは皇太子の妻という身分だけ。 それをなくしてしまえば彼女は彼女でなく、しかし宮廷に嫁ぐことでその身分を手に入れた彼女はそれを失う可能性もある。 ルドルフを愛しているからそこにいるわけではない。 ルドルフのように愛を求められるほど、彼女は自由じゃない。 自分を守るためには自分を傷つけなくてはいけない、そこに愛なんてなくてもルドルフに自分を妃として扱わせなくてはならない。 それ以外、彼女が彼女でいる方法はないのだから。 「Ich liebe sie」というルドルフの言葉がどれだけステファニーを傷つけたか、彼にはわかったのだろうか。 愛されていないことは彼女も分かっている、けれどそれを言葉にすることは彼女の存在自体否定することなのだ。 生まれながらに皇族である者の気楽さと、そこに後から入ってきた者のしがらみ。 取りすがらなくてはならないステファニーの弱さには気迫があり、傷つきながらも戦う彼女の姿は愚かしいほど滑稽で、でもとても魅力的で美しかった。 ルドルフに自分を否定されて、それでも妃であろうとするそのプライドの高さは、涙が出るほどいじらしかった。 マリーとの対話でもその姿は弱い心を無理にも強く見せているように思えて、いじらしささえ感じました。 傷だらけであっても見せるのは涙ではなく強く取り繕った自分。 彼女は強いのではない、強くあらねばならなかった、だからそうした。 ルドルフやマリーには共感できなかったけど、彼女は好きです(共感できる、とはちょっと違う気もするけど)。 本当に魅力的な女性でした。 ターフェも相変わらずよかったです。 2幕冒頭のシーンを見ると、これを見るためだけであっても来てよかったと思えます。 この演出もおもしろいです。 ハンガリー版と違うリズムの取り方で背後で階段を上るシルエットがおもしろい。 これはこれで癖になります。 ラリッシュはやはり魅力的な女性だと思います。 ソロが盛り上がらないのはCarinさんの声質と音域があわないからかなとまじめに思ってしまう。 彼女の声が一番きれいに響くところに音符が無い気がする。 このラリッシュ、若くも細くもないが何とも魅力的な女性。 場面場面で何となくルドルフと近しい関係にあった・・・と思わせるシーンがあります。 実際にそうだったとは、びっくりというか、なんか納得。 個人的にはぜんぜんありです (というか、こういうシーンがあるというところがこの作品が「ラブロマンス」になりきらない要因だと思うのです)。 アンサンブルで気になったターフェの部下の二人組。 かつんと踵を鳴らす様子が小気味いい。 結構出てくるのが楽しみな人たちではあったけど、だから何だとつっこみたい気もしないでもない。 ちなみに作品については結構言いたい放題言っていますがDrewについては私の中で評価が上がっております(笑)。 WistikeやCarinさんについても言うに及ばず。 Uweはもっと大きな役で見たかったんで微妙(苦笑)。 このあたりは良い演技を見せてくれたので当然と思ってます。 ただ作品はいまいちなのに作品の出来を左右する主演の評価が上がるのは我ながら珍しいなと。 そういう意味で不思議な作品でした。 ところで感想のまとめをCDを聞きつつ書いているのですが、これほどCDと実際の印象が違う作品も珍しい。 これならラブロマンスに思えるかも。 「Der Weg in die Zukunft」なんて実際に見たときは鳥肌が立つほど怖かったんですが、CDだと普通に良い曲ですね。 |