ジゼル
2009/05/09
大宮ソニックシティ 大ホール

ジゼルヴィヴィアナ・デュランテ / 東野泰子
アルブレヒト熊川哲也
ヒラリオンスチュアート・キャシディ
6人の村人たちの踊り東野泰子 / 副智美
橋本直樹
白石あゆ美
中村春奈
伊坂文月
西野隼人
ジゼルの母親ベルトニコラ・ターナ
クールランド公爵宮尾俊太郎
公爵の娘バチルド松根花子
アルブレヒトの従者、ウィルフリードデイビッド・スケルトン
ウィリの女王ミルタ浅川紫織
モイナ木島彩矢花
ズルマ樋口ゆり


 この公演、前方席で見た上にとんでもないトラブルもあり、一生忘れられそうにありません。 色々ありましたが、舞台としては十分楽しめるいい公演でした。

 久しぶりのジゼルです。 ジゼルなんてあちこちでやってるからもっと見ようと思いつつ、Kの前回の公演以来になります(一応新国立は行こうと思ってチケットを買ったけど行けなかった)。
 プログラムのダンサーを見て、ああ、知ってる人減っちゃったなあ・・・いやいや、それは言わない約束だ! 思うところはいろいろあったけど、実際に舞台を見ると「やっぱりこのバレエ団を応援していこう!」と思えるのが不思議です。
 今回は哲也目当てというよりはヴィヴィと踊る哲也を見たかったというところです。 Kバレエファンのくせにこの二人の公演はあまり見ていなかったので、そろそろ見納めに見ておこうかなと。 「三人姉妹」では結構見たけど、これはあまり合わなかったからね(言うまでもなく哲也の役が)。 そんな思いの中での観劇だったのですが、哲也のアルブレヒト、なかなか良い。 そりゃ、エレガントさには欠けるし、王子様という感じはしない。 でも、背景やセットの持つリアリティ、ベルトとヒラリオンの毎日繰り返されているように思えるやりとり、そして生き生きとした若者たち、そんな周りが作り出す「生活感」を一瞬でぶちこわす放蕩っぷりでした。 当たり前だけど生活のにおいがしない。 毎日遊んでしたいことだけして誰に何を言われても聞かない放蕩息子そのまま。 そんな気ままで生活を感じさせない、現実から離れた雰囲気にジゼルは心引かれたかもしれないという雰囲気でした。 ヴィヴィはちょっと不調。 なんというか、足の上げ下げ一つに疲れが見える。 ジゼルの演技というより、ちょっとヴィヴィアナさんが無理をしているようにも見えた。 残念ながら、哲也も同じ感じ。 ちょっと疲れているように見えて、いつもの切れがない。 「放蕩息子」では元気いっぱいだったから、怪我のせいではないと思うんだけど。 それでもこの二人の持つ雰囲気は良いなと思う。 そこにある一瞬一瞬を楽しんでる。 ヴィヴィはそりゃもちろん若くないのは誰も知ってるけど、どうしてかと思うくらいいじらしくって愛らしい。 仕草の一つ一つが柔らかくて暖かくてこちらの胸に訴えかけてくる。 冒頭でアルブレヒトを探しても見つからず、しょんぼりして後ろに下がると彼の背中にぶつかる。 その瞬間の戸惑いというか恥じらいは、胸が押しつぶされそうなほどでした。 その初々しさが全く押しつけがましくなく、むしろ控えめに感じるあたり、さすがとしかいいようがないです。
 ペザントもなかなか楽しく、さて今回ちょっと予想外のキャスト、公爵の宮尾さん。 若いからバチルドの父親に見えるかと心配だったのですが、これははまり役! 彼はどうも鼻持ちならないところがあってそれがあまり好きではなかったのですが、正直この鼻持ちならなさがこの役にぴったり。 人は悪くないけど気位の高い公爵でした。 そしてバチルドもちゃんと良いところのお嬢さんに見えた。 「お父様が天気がいいから狩りに行こうなんておっしゃるからついてきたけど、こんなほこりっぽくて田舎臭いところの何がいいのかしら」と始終不機嫌。 きれいだけどあまり心根のよろしくないお嬢さんでした。 これはこれで十分あり! それで見ていてふっと思ったのですが、もしかしてアルブレヒトって婿養子じゃないかしら。 なんか公爵が無理くり話をまとめて、バチルドは父親に逆らう気もなく、アルブレヒトも立場上逆らえないんじゃないかとちょっと思ってしまいました。 品格が、なんかバチルドの方が上なの。 アルブレヒトもそこそこ身分が高いけど、バチルドの方がずっと上と考えるといろいろ納得がいくのでした。 「ジゼル」としてそれがありなのかわからないけど、まあ、哲也は「生粋のノーブル」さんじゃないからこう解釈するのが一番いいかなと。
 バチルドはジゼルを小鳥のようにかわいがるというよりむしろ苛立ちの気紛らわしに遊んでいるように見えました。 心臓が悪いから踊らせないでほしいというベルトのいうことも聞かず、ジゼルに踊らせようとするのは、立場の違う人間を同格に扱わない者の見せる残酷さを感じました。 ジゼルの踊りもまともに見ようとはせず、なんとも移り気なお姫様でした。 公爵の方は面白そうに見てる(好色という感じでもなく、見下した感じでもなく、とてもいいバランスでした)のと対照的。
 さて、そんなこんなでジゼルは踊ってみせるのです・・・って、なんでここでジゼルが引っ込んでパドシスだったはずの東野さんがでてくるの?(後で思い出したのですが、この時点で衣装が替わってました) 舞台は何事もなかったように東野さんが踊ってますが、このシーンってジゼルが踊るんじゃなかったっけ? 私は東野さんの踊りを「村娘その1」の踊りとしてみるべきなの、それとも「ジゼル」の踊りとしてみるべきなの? 村娘の踊りにしては楚々として愛らしくどこかか弱い感じがするけど、これってもしかして・・・と思っているうちに、バチルドが東野さんにネックレスを送ります。 この時点でようやく、ヴィヴィの代わりに東野さんがジゼルになったと気付きました。 って、えええええええ!!!!???? (確信したのはこのシーンですが、ジゼルが入れ替わっても舞台が何事もなく進んでることに驚いたのは、ベルトが東野ジゼルをちゃんと「最愛の娘」として抱きしめたときでした。目の前で確かにジゼルが入れ替わったのに、彼女の対応を見ていると最初から東野ジゼルが彼女の娘だったように見える。ああ、役者さんってすごいなあ)
 世界のプリマと比べてしまうと申し訳ないのでいろいろさっ引きますが、東野さんのジゼル、難所はありつつも好きです。 オーロラを見て、オデットを見て、彼女に似合うのはどんな役かと考えましたが、一番はジゼルでした。 予想に違わず、彼女のほっそりとした体つきと控えめな雰囲気はジゼルにぴったりでした。 その幼さが、楚々としたいじらしさが、愛らしい。 プリマのオーラというのは席が後ろの方になればなるほど違いが強く感じられます。 私は幸い前方だったので、「東野さんの踊り、ヴィヴィに似てるな」と思いながらも彼女の踊りを楽しむことができました。 実際、彼女のジゼルも見たかったんです。 予算の都合であきらめましたが・・・(3月の旅行で無茶しすぎた)。 でもね、見るなら1幕の前半の方が見たかった。 狂乱のシーンは若干段取りを踏んでいる気がしてやっぱりいただけませんでした。 このシーンのヴィヴィが見たかったんだけどね(涙)。 ただアルブレヒトに婚約者がいたことを認めようとせず、この世ならぬ世界で遊んでいる哀れさには涙を誘われました。 ヒラリオンがジゼルを抱き止めようとするのですが、ここで初めてベルトがヒラリオンを止めます。 これで最後だから娘の思うままにさせるように。 ジゼルはベルトを拒み、ヒラリオンを拒み、母の腕に飛び込み、そしてアルブレヒトの腕の中で死ぬ(ほんと、ヒラリオンって報われない・・・)。 このあとのヒラリオンを殺そうとするアルブレヒトと、殺されようとするヒラリオンのやりとりが好きです。 ヒラリオンは最後には事件の発端となった件を逆さに抱き抱え、首を切ることもできず、かといって自分を許すこともできず、死に場所を見つけられずにさまよっているようでした。(一応キャシディさんファンなので、ここはヒラリオンをチェックしている)

 2幕の前に、ようやくデュランテの降板のお知らせのアナウンスがありました。 舞台は何があるかわからないとはいえ、恐ろしい・・・。

 2幕の冒頭、相変わらず美しい照明です。 木からこぼれる月明かりが、森と夜闇の深さを教えてくれる。 ヒラリオンは夜になったことに気付かず眠っていた様子。 相変わらず、ウィリに殺されなくてもどこかで命を落としてそうなヒラリオンです。 そしてウィリ達が現れるのですが、なんだかヒラリオンの良心の呵責というか悩みというか悲しみというか、それが生み出した幻にも見えました。
 この役が転機になったと言っていた浅川さんのミルタ。 残念ながら登場時のパドブレが雑でした。 これって難しいなとしみじみと思ってしまいました。 腕が固いところが若干気になったりもしましたが、やっぱりめちゃくちゃうまくなってる! 前方席だったこともあり、彼女の存在感がずいぶんと大きくなったことをうれしく感じました。 彼女の踊りは白いから、この役にはぴったりなのです。 ジゼルに懇願され、それでも彼女の願いを退けたとき、一瞬心が揺らいでいるように見えました。 そんな彼女の優しさを心の奥に押し込めるような冷たい表情は、恐ろしいほど美しかった。
 メインのジゼルについては、もったいないと思ってしまった。 リフトが軽くなかったのはお互いの責任と言うことで何とかしてもらうしかないけど、演技の面ではやっぱり「途中から」と言うことが響いている気がした。 良し悪し以前に、ジゼルがアルブレヒトのことをどう愛していたか、それを想像するしかないのがつらかった。 結局この作品は1幕で伏線を張って2幕で回収をするようなものだから、「どう愛していたか」という伏線が張られてないと、回収がしようがない。 ジゼルとアルブレヒトの年齢差が開いたから間違いなく二人の関係性は変わる。 アルブレヒトはそれでも「どう愛したか」を見せてくれたけど、ジゼルはそれもない。 ヴィヴィとは似ているけど違うものを見せてくれたんだろうと思うと、いろいろ悔しいです。
 そんな風になんだかんだ言ってしまっても、やっぱりおもしろかったと思う。 東野さんにジゼルは楚々としてかわいらしく、とにかく愛らしかった。 気に入ったシーンが二つ。 どこだと言葉で言うのは難しいのですが、踊るアルブレヒトを見ているシーン。 彼女を見ていて、ふっとアルブレヒトには日の元に戻って欲しいと思えました。 彼が彼女に何をしたかというのは全く思い出せず、ただ彼にこの闇夜は似合わないから、お日様の下で生きていてほしいと思いました。 それはジゼルがそう思ったのを感じたというより、私がそう思ったというか、そのときジゼルと同じ目で私はアルブレヒトを見ていたというか。 そっと手を合わせてミルタに懇願するジゼルの気持ちが、まるで自分の思いのようでした、私はアルブレヒトなんて好きなわけでもないのに。 私の中にはないはずの感情がそのとき確かに私の中にあって、それが暗い世界の中で私の心をほんの少し暖かくしてくれて、何ともいいがたい不思議な体験でした。
 もう一つはミルタとアルブレヒトの間に立ちはだかるシーン。 東野さんのジゼルは小さくてほっそりとしていて本当に愛らしい。 強さと言うより、たおやかさを感じた。 小さいけれど、こればかりは譲りたくないという意志。 小さいなということは感じたけど、強いとは感じなかったけれども、けれどミルタを一歩引かせる力はあると思った。 なんかもう、本当にいじらしいのです。
 ウィリ達にヒラリオンが踊らされるシーン。 キャシディさんは結構踊りに好不調があるんですが、今回もいまいちだなあ・・・。 ヒラリオンはそんなに踊りメインじゃないから良いけど、やっぱり重くって軸がずれてる。 それはそれとして、このシーンの音楽が何故か素晴らしかった! このシーンだけ、音楽がまるで曇りが一点もない氷のように冷たく澄み渡っていて、鳥肌が立ちました。
 そして夜が明け、ウィリ達は去っていく。 ジゼルは思い残すことをなくし、天に帰っていくように思えました。 これはキリスト教の概念でどうかわからないけど、日本人的な感覚ではウィリ達は地縛霊みたいな感じで、ジゼルはその輪から説き放たれたように思えた。 だからお墓の中に帰っていくような演出はちょっとなんだかなという感じでした。
 そしてアルブレヒトは目覚め、ジゼルによって救われたことを知る。 百合の花を地にまいて泣き崩れる彼は、ようやく自分がジゼルに対して何をしたかを知ったように見えました。 彼は結局婚約者とか堅苦しい日常がいやで、逃げただけなのだ。 ジゼルと将来どうしようとか、少しも考えてなかった。 ジゼルのあまりにも儚くたおやかな愛情受け、アルブレヒトはようやく自分が何をしたか、ジゼルと出会って自分が何をしたのか、すべてをようやく知った。 けれどもジゼルはなく、何も取り戻すことはできない。 そのどうしようもない絶望を、倒れ伏す後ろ姿に感じました。 放蕩息子の哲也らしいアルブレヒトだったと思います。

 ヴィヴィのジゼルは本当に見たかったし、そうでなくてもせめて東野さんで通しで見たかったです。 でも何故か心に残る、ジゼルの静かで柔らかな心が胸にしみる、いい舞台でした。



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