Tanz der Vampire
2009/07/09
Metronom Theater

Graf von KrolockJan Ammann
SarahAnne Hoth
Professor AbroniusChristian Stadlhofer
AlfredRiccardo Greco
ChagalJerzy Jeszke
MagdaLinda Konrad
HerbertFlorian Fetterle
KoukolStefan Büdenbender
RebeccaHeike Schmitz
TanzsolistenKym Boyson(Rote Stiefel Solo/Nightmare Solo)
Paul Knights(Weißer Vampir)
Ross McDermott(Rote Stiefel Solo/Schwarzer Vampir)
GesangssolistenMichel Driesse
Maciej Salamon
TanzensembleMilena Alaze
Kevin Hudson
Amanda Huke
Raphaela Peksovsek
Andras Simonffy
Els Smekens
Cale Stanojevic
GesangsensembleEva Maria Bender
Janaina Bianchi
Sanne Buskermolen
Tibor Heger
Timea Kecskes
Michaela Schober
Matthias Stockinger
Jakub Wocial
DirigentMarcos Padotzke


 3月に見たばかりだったので行こうかどうか迷いましたが、折しも日本はヴァンパイア祭り。 騒ぎに乗れないことがちょっと寂しかったので、ここでうっぷんを晴らすことにしました。 シュツットガルトからオーバーハウゼンまでの旅費だけでB席1回くらいなら十分見れることは気にしない(笑)。
 そこまで気合いは入ってなかったのですが、行ってみたらやっぱり楽しかった! というか、やっぱりオーバーハウゼン版は演出に難はあるものの、オケや舞台の雰囲気はいいかもしれません。
 前回の感想が半端なのでここで書いてしまいますが、本当にこの演出の改悪はひどい。 なにがひどいって、2幕の後半を中心に削っていること。 まず、「Die Unstillbare Gier」のあとの教授とアルフの台詞がカット。 続いてメヌエットの長さが半分くらいに。 ここって同じのを繰り返しているように聞こえて、クロロックとザラの関係がゆっくりあぶり出されるのがおもしろいんですけど!! (ベルリンのPhilippクロロックなんてこのシーンで落ちたもんなあ) さらにアルフの台詞がカットされてるのが許しがたい。 最もカットの理由が意味不明なのが、クコールの最期をカットしたこと!!!! なにがやりたいの、ねえ、なにがやりたいの!? 大幅カットのおかげで3時間あった舞台は2時間50分ほどになりましたが(このほかちょこちょこ間が削られてます)、そのせいでなにを犠牲にしたのか、もう少し考えて欲しい。 ウィーン版はこれを踏襲しないことを祈ります。

 とりあえず一通り怒ったので、落ち着いて話を進めます。 今回、あまりキャストにわがままは言うまいと思いつつ何となく見たいと思っていたJanクロロックとAnneザラ。 Janは3月に、Anneは一昨年の12月にベルリンで見ています。 最近のキャスト表を見ていて何となくこの二人は合うんじゃないかと思っていたので、実際にそのキャストで喜色満面。 実際に見てみたら予想通りというか予想以上にぴったりの二人で、この二人を見るためだけでも渡欧した甲斐があったと思えました。 Janのクロロックは既視感さえ覚えるほど「俺様」。 声に癖がないためThomasと「似てる」というとそれは違うのですが、見ているとなぜだか懐かしくなります。 「Tanzsaal」のノリノリアレンジとかね、楽しいです。 Anneザラはベルリンで見たときに「自分の魅力を知ってるけどそれをコントロールし切れてない」印象を受けましたが、今回はそれに艶めかしさが加わった感じ。 子供でおばかであることは間違いないのですが、自分に特別な魅力があるのを知ってる。 お風呂場でのアルフとのやりとりも、自分の魅力を知っててやっている。 でもそれだけ惑わすものがどういうことを意味してるのか、具体的にはちっとも分かっていない。 女王でありたいと思う、でも田舎娘で子供でおぼこであることには何ら変わりない。 そんな危うい魅力を持ったザラでした。
 俺様なクロロックと女王になりたいと心のどこかで願うザラの組み合わせは間違いなくぴったり。 触れれば心が破裂し壊れてしまうことを知っている。 壊れることを望んでいるのに、あと一歩踏み込めば望みは叶うのに、それをしない。 紙一重ですれ違う二人の姿は、何ともいえない色香を持って存在していました。 この二人だからできたというのでしょうか。 ある意味若くって、エネルギッシュな二人だからこそ出来な部分もあるのではないかと思います。 二人とも力強い歌い方で、かつ、アレンジが好きなところもお似合いだったと思います。 Anneの歌がとってもうまくなったことが分かってなんかうれしかったわ。
 そんな感じでこの二人がとんでもなくおもしろかったため、ほかの部分が若干薄味に感じられたこともなくはなし。 ただ、クロロックとザラが絶品で、そのほかの人たちが自分の役割をちゃんとこなしてくれれば、この作品は失敗のしようがないのです。 作品の持つ力の強さを改めて感じた部分もありました。

 アルフレートは写真で見たときはえらくスポーツマンに見えてミスキャストではないかと思いましたが、実際は確かに背もそこそこ肩幅もそこそこあったものの、どこか弱々しい物腰は間違いなくアルフレートそのものでした。 生真面目でまっすぐな若者で、「Für Sahra」の一途さも「彼らしい」と思えました。 そんなにおばかには感じませんでしたが、なんとなくいいとこ出身のお坊っちゃんというった風情で、それゆえ人とテンポがずれてる、それゆえ役立たず・・・と感じました。 歌声は伸びやかでみずみずしく、顔もよくって本当に普通にアルフレートでした。 まあふつうのお坊っちゃんなんで、彼なんかじゃザラは手に負えないと思う(笑)。
 教授も初めて見る方でしたが、こちらも普通に「教授」でした。 コメディ色はどちらかというと弱めでしたが、強烈に笑える感じよりはこちらの方が好きだな(程々のバランスが一番いいのですが)。 偏屈なのが際立ってる故に、たとえば2幕の図書館で喜色満面大喜びするあたりがかわいく映りました。
 シャガールは「いつもの」と前置詞をつけたくなる。 以前は苦手でしたが、今回はいいかもしれないと思えました。 さすがベテランということもあり、マグダに対する好色も、「過保護なパパ」という面もどちらも無理なくぴたりとはまっていました。 2幕のマグダとのやりとりももちろん品がいいわけがないけど不快になるような下品さはなく、歌も聴かせてくれるし、いい役者さんかもしれないと思えるようになりました。
 お相手のマグダもいかにもマグダでした。 自分にちょっかい出してくる男(含むシャガール)を不快に思いつつもその振り払い方をちゃんと心得ている。 ある程度貞淑で、でもきっちり女の色気を持ってる。 それで2幕は一線越えた先に駆けていくんですけどね。 ちゃんとたがが外れてて、その外れ方がシャガールとどこかお似合いで、結構いい組み合わせじゃないかと思ってしまいました。
 レベッカも基本きっちりという感じ。 気むずかしいばーさんに見えて、娘の愛情もあるし、旦那は浮気をゆるさんという以上の愛情がある。 シャガールの死後、布をかけるのすら寂しいというように一瞬ためらったのが、彼女の本心だと思う。
 いろいろなキャストが見てみたいのにそれがかなわなくって残念なヘルベルト。 彼は悪くないけどなんか普通のような。 もうちょっと女の子女の子している方が好みです。
 クコールはね、もうね、なんと言っていいか・・・。 いつも見ているのですが、もう私生活もクコールじゃないかと思うほどそのまま。 不気味な顔立ちをしてますが、見慣れるとそれさえも愛嬌があるように見えるのが不思議なところ。 今日は初見のかたがいたのか、登場時に彼の出てくる方向から女性の悲鳴が! クコールとしてはしてやったりでしょう。 2幕冒頭のカーテンをあげる→お尻がかゆい→お尻ボリボリなんてもう何回見たか分からないんですが、同じことを同じタイミングでやっているにも関わらず毎回新鮮に見えるのが不思議です。 シャガールとマグダを退治(笑)したあとの「Yeah!」は今回も変わらずご機嫌でした。 これを聞くのが密かな楽しみです。

 という感想を見ていただけばおわかりいただけると思いますが、クロロックとザラにほとんど持って行かれました。
 Janのクロロックは何度も言っているとおり「俺様」なのですが、声に癖がないせいで「Got ist tot」もすっきり聞けます。
 ザラの性格が一番最初によく分かるシーン、アルフレートにお風呂をおねだり(笑)。 なんとなく自分の魅力が分かっていて、アルフレートを惑わしているように見えました。 アルフレートが桃色の妄想(こちらも少年らしく(笑))を繰り広げているのに、ザラは自分がしていることが何を意味しているか理解していない様子。 この辺の幼さが危ういなあと思うのです。
 アルフレートは基本的に生真面目で、だからお風呂のシーンでもまじめなことを言うし、森に行きたいと言われてもなかなか首を縦に振らない。 禁じられたことでも自分の欲求のためならためらわないザラとは対照的。 そして絶品だった「Stärker als wir sind」。 雷鳴のような音で始まるオーバーハウゼン版はそもそも魅力的なのですが、そのほかの部分についても今まで見た中で最高だったと思います。 冒頭の男女ペアの流れるような踊りの品格から本当に素晴らしかった! 今まであまり言及してきませんでしたが、このシーンって結構危うい妄想なんですよね。 直接的には言いませんが、すなわち複数の男たちに翻弄されたいと言ってるようなもの。 それが少女の夢として成り立つのは生々しさがなく男たちの所作が紳士的で、また、夢見る少女は夢の中で翻弄される娘であると同時にその場の女王であるから。 それがはっきりと現れてました。 Anneのザラ自身、自分の魅力を知っていて、それがあれば男は首を縦に振ると知ってる。 ただ彼女は幼いから、それは相手に言うことを聞かせる手段としか思っておらず、なにが彼らを惑わしているのか知らない。 私が彼女の身内だったら正座させて「男はみんな狼なんですよ!」というこてこての説教をしたいです(笑)。 そんなAnneのザラはこの歌にぴったり。 翻弄されたい、けれど相手を支配したい。 この歌は彼女の妄想をそのまま形にしたものに見えました。 また踊りがよくってね。 次々くりだされるアクロバティックなリフトが流れるように自然。 引かれた線をそのままなぞっているかのように滞りがなく、だからこそ迫力がある。 難しいのに段取りになってないから、スリルがある。 ザラ(ダンサー)を押しつぶさんばかりに繰り出されるリフトを受けて、それでもザラは笑ってる。 ジェットコースターに乗って悲鳴を上げるのではなく「すごいすごい」と高みから世界を見下ろし楽しそうに笑ってる。 彼女を翻弄する男たちを彼女をエスコートする男と同じように扱う。 翻弄されているように見えて、間違いなくその場の女王は彼女の望んだとおり、ザラでした。 若くて愚かな女王のように力強くほのかな色気をもって歌うザラに呼応するのはこれまた俺様然としたクロロックの声。 王と王妃にはなり得ない、あくまで王と女王。 対等にぶつかり合い、互いに高みを目指す二つの声。 この声がまた貫禄たっぷり色気たっぷりで迫力があり、酔いしれるとはこういうことかと思い知らされるほど聞きほれました。 声質がぴったり合っていて、夜空に高く上り詰めていくような歌がとにかく気持ちいい! そして踊りが一段落すると次は静かな曲に。 心の中の汚れをすべて流し去ってくれるような清らかな祈りの声。 高ぶっていた心にこの声は清涼剤としては強すぎて、涙がこぼれるほどでした。 この対比、そしてそんな清涼間も吹き飛ばすようなクロロックとザラの声の鮮やかさ。 駆け出すザラの足に力添えをするようなこの曲の強さ。 本当に気分のいい曲でした。
 「Tot zu sein ist Komisch」のシーンカットもようやく慣れてきましたが、まだなんか物足りない気がする・・・。 このあたりで、教授が自分で足音をたててるのにアルフレートをしかりつける理不尽さは何度見ても好きです(笑)。
 城のシーンは残念ながら通路練り歩きは少数。 でも、10席くらい離れたところに一人来てくださって、離れたところなのに声がきれいに聞こえて、うっとりとしていました。 残りのヴァンパイアさんたちは客席の後ろに。 両手を広げて、後ろから銀色と言いたくなるような白い光に照らされて黒々と浮き上がっています。 白い光に浮かび上がる黒い化け物というのは何とも幻想的で、これはこれで見とれました。
 クロロックは、どこか人を食ったような態度でした。 自分で分かった上で化け物を気取っているような気がする。 「私は夜の鳥ですから」も含め、そこまでするほどないじゃないかと思うほど化け物を気取り、人間でないことを隠そうとしない。 むしろ人間でないことを見せびらかしているように思える。 なぜこう思えたかということに納得したのは2幕なのでまたあとで。 あ、クコールとのやりとりが言うことを聞かない下男をいささか苛立ちつつしかりつけるという感じで、それがなんというか「伯爵」っぽくて、素敵でした。 若いクロロックらしく、1幕最後の独唱はきれいに曲の切れ目まで無理なく(あまりに自然すぎてすごいことだと忘れるほど)響かせてくれました。 これだけ聞かせてくれるとやはり気持ちいいです。

 「Stärker als wir sind」が絶品だったので期待が高かった「Totale Finsternis」ですが、期待に違わぬ絶品でした。 アンサンブルのコーラスもよかったし、闇の中に浮かぶご先祖様の肖像画も、暗い紫の照明が怪しくって美しかった。 でもやっぱりこの曲の善し悪しを決めるのはザラとクロロック。 似たもの同士と重ねて言っていますが、それがこの曲でも間違いなくプラスに働いていました。 ザラの心は破裂する寸前で、火をつけられるのを待っている、けれどいざその時がくるとなるとためらいとおそれがある。 クロロックも同じように破裂しそうな心を抑えている。 力ずくで手に入れることもできるのに、襲いかかりたいような気持ちを抑え、ただ静かに手をさしのべ彼女を招く。 近寄るザラをクロロックが手で押しとどめ、静かに腕の中に招くシーンは、ゾクゾクするほど色っぽいものでした。 手を伸ばせば受け入れてもらえる、望んでいたものが手に入れるというのが分かった上で彼女は触れるのをためらう。 ふれあえば破裂し壊れていく二人はそれを理解した上で、壊れたいという気持ちを抑えつつ、紙一重ですれ違う。 このすれすれ感の持つ色気がたまらなく魅力的でした。 それこそこちらの心さえ壊れてしまうのではないかと思うくらい、のめり込みました。 すれ違う二人を見ているだけで息苦しくなる・・・なかなかおもしろい経験でした。
 「Carpe Noctem」は普通におもしろかったです。 シンガーソロの声もきれいだったし、暗さと明るさのバランスもよかった。 ダンサーも悪くなかったけど、ブラックヴァンパイアがちょっと普通だったかな。 Vanniのように男臭いわけでもなく、前回のようにシャープで鋭いわけでもない(と思ったら同一の方でした)。 ここしばらくベルリンにしろオーバーハウゼンにしろとんでもなく素晴らしいものを見せていただいたので、「普通」だと物足りなく感じるのがファンのわがままなところ(苦笑)。 でもこの振り付けはやはりおもしろいので、楽しく見させていただきました。
 このところいつもそうなのですがここしばらく立て続けに書きそびれているので・・・。 お風呂場のザラの泡遊びが楽しそうです。 昔からそういうところもありましたが、近頃ことさら楽しそうにザラは泡を飛ばしています。 あれを見ていると泡風呂をやりたくなるのよね、舞台のは本物の泡でないことは分かってるけど(あれは一体なんなんでしょうね?)。 そのときザラに言われてお風呂場に潜入したことに気づき、下を向きながらしゃべるアルフレートがいじらしい。 裸のザラがそこにいるドギマギと、いやそれどころじゃないから話を聞いてほしくってしゃべりたいとかそういうことを無視するザラに焦りを感じてるとかまあ、顔を上げては下げるその姿がいじらしかったです。 まあ、ザラは聞いてないわけですが(笑)。
 TdVはもう数えたくないほどみているのですが(数えるとばかなのがばれるから)、「Die Unstillbare Gier」の直前で伯爵の登場シーンが見えたように思えたのは初めてです。 今まで急に現れたように見えたのよね。 今日は無理してでも無人の墓場を見ていたので、ようやく登場(というか、陰がのそっと動いて、明るくなってよくよく見てみたらクロロックだった)した瞬間を見ることができました。ああ、このタイミングだったら絶対気づかないわ・・・(予想通りの場所でした)。
 「Die Unstillbare Gier」が好きです。 舞台を見終わったらまずここの感想から始めます。 役者によって、その時の表現によって、それこそ見るときによって全くその色合いが違い、こういう解釈があったのかと気付かせてくれることにおもしろさを感じます。 Janのクロロックは若くて俺様なんで、とにかく力強い。 初老の紳士のはずだからちょっと違うのかもしれませんが、歌詞そのままの解釈のせいか違和感はありませんでした。 今まで虚勢というか無理に化け物を演じていたように見えたクロロック。 たぶんここでの彼が自然体なのだと思います。 若い頃の思い出、そこには自分へのあざ笑いも悲しみもなく、静かな横顔は未だに、時が流れたのに彼女の喪失から立ち直れていないように見えました。 燃え尽きたいのにそれがかなわないもどかしさ。 彼は歌詞の通りに力一杯もがいてる。 ベルリン版で初めて見た牧師の娘の墓を足蹴にする動きはすっかりデフォルトになったようです。 彼女に対する背徳的な行い。 清らかなものを汚すことで何かが得られるかと思ったのに、結局むなしさしか残らなかった。 世界の全てが欲しいと思う、けれど手にはいるのはほんのわずかなものだけ。 それが分かっていても欲してしまう。 どんなに生きながらえようとも望みは叶わず欲望はつきず、ただむなしい乾きのみがそこにあるのみ。 なぜ欲がつきないのか、それは人間だから。 どんなに変容しようとも、どんな化け物になろうと自分が人間であることに変わりない。 歌詞をご存じの方ならご理解いただけると思うのですが、本当に歌詞そのままの解釈でした。 私が歌詞を知ってるというのもあるでしょうが、それにしても伝わってくる言葉以上に、彼の感情がそのまま歌詞でした。 ここまで歌詞がそのまま心に届くのも珍しいです。 歌詞そのままなのにとてもおもしろいと感じたのは、クロロックのすべての根っこがこの「人間に他ならない」ということにつながっているから。 彼は人間以外の何者になれないと知っているから大仰なまでに化け物を演じてみせる。 それはむしろ「人間以外になることはない」という安心感から来ているようにも見えました。 何をやろうとどうしようと人間であることに変わりないのだから、人間であることから逃れられることはないのだから、安心して化け物になっている。 人間以外になれないことに苦しみながらも人間以外にならないことに安堵している。 多分そういう風にクロロックに(Janでなく「クロロックに」)言ったら否定するだろうけど、その矛盾が彼が化け物を演じている理由に思えました。 また、彼のメイクはもちろん白塗りで時顔の分からない化け物メイクです。 化け物なのにふっとその横顔が美しく見えるときがある。 それもある種、彼が人間である証のように思えました。 化け物の見た目をしており、本人もそれを承知で、でも見るものにそれはどこか美しく見える。 このギャップが、とても理想的な形になっていたと思います。 そして終盤は若いクロロックらしく斜めになった墓場を猛スピードで駆け降りてくれました。 この、オケピットに落ちそうな勢い、そしてそれを無理矢理止めるだけの腕の力(多分)あっての若クロロックだなと思います。 Janのおもしろいところはこれだけ若さがあって力強いのにその若さがクロロックとして不自然ではない。 ちゃんと長い年月生きてきたという風格がある。 若クロロックと年上クロロックのいいとこ取り・・・ともちょっと違う。 なんというか、「独特」という言葉が似合うクロロックでした。 まあ、どのクロロックも往々にして個性的なんですけどね(笑)。
 教授とアルフレートの台詞がカットされたことに不満を感じつつ、「Tanzsaal」。 ノリノリアレンジしまくりで歌うクロロックがかっこいい。 オーバーハウゼンの螺旋階段は結構細長いのですが、立ち方がいいのか狭苦しく見えないのが不思議です。 そして胸を張って階段に現れ、降りてくるザラ。 破裂する寸前の心がわずかに触れずすれ違う。 ザラはその時がきた喜びにあふれている、それがなにを意味するかも知らず。 クロロックは今までこらえていた心を静かに押し殺し彼女を招く。 心を落ち着けることができたのはそこまで、彼女を腕の中に抱くと、気持ちを抑えることができないかのように指先がふるえ、どこか余裕がないように力ずくで彼女の首を倒し、噛みつく(乱暴そうに見えて色気があるのがさすがクロロック)。 気を失ったザラの姿を皆に披露するときのお姫様だっこの時間はたっぷりと。 ザラは完全に力を抜いているのでものすごく重いと思うのに、軽々とやっているように見えるのがさすが若クロロック。 目覚めたザラは足下がおぼつかず、クロロックに寄りかかっている。 そんな彼女のことなど知らず、クロロックは彼女から離れる。 彼女はクロロックに並ぶにふさわしい魂を持っているのだ、誰かに寄りかかるのはふさわしくない。 手を離したら彼女が倒れるか、倒れないかはクロロックにとってどうでもよく、ただ寄りかかる姿が彼女に似つかわしくないから手を離した。 倒れても手を貸さないし、驚きもしない。 その姿がクロロックがザラを認めていることを一番物語っていると思いました。 最後の重唱、実は3月に見たときは珍しくここがいまいちだったのですが、今回は完璧。 「Totale Finsternis」であれだけ美しい声を聞かせてくれた二人、それよりも声のハモりやすいこのフレーズが美しくないわけありません。 似たもの同士の二人がちゃんと行き着くところまできてくれて、満ち足りた思いで見ることができました。 それにしても口元を拭うクロロックって色気があって好きだわあ。
 そしてメヌエット。 しれっとした顔をして踊るクロロックが好きなのですが、シーンカットのおかげであっと言う間に終わりました。 個人的にここだけで1時間あっても飽きないのに・・・。 アルフレートの台詞もカットされており、「前回ぶん殴らなかったから今回こそぶん殴ってもいいよね、スタッフ!?」と思ってしまうのでした。 ああ、それでもクロロックにぶつかって叱責されるヘルベルトという姿は好きだ。
 Anneザラについては今までいやと言うほど誉めてまいりましたが、やっぱりうまくなったなあと思ったのがラストの豹変シーン。 オペラグラスを使わなくても、ある時を境に彼女が人ならぬ何かになったことが分かります。 このドスの利いた強い感じが出せてこそ、ザラだなと思わせてくれます。
 さて、観劇記にお星様をつけるようになってから観劇時に何となくいくつくらいかと考えるようになりました。 今回は演出がいまいちだったりその他のキャストも悪いわけないけど特筆するほどでもないかなあとしばし考えフィナーレ。 このシーン、昔はヘルベルトばかり見ておりましたが、Vanniに出会って以来、ブラックヴァンパイアのパートばかり見ています。 さて今回のブラックヴァンパイアはすごく良いってほどではないけど悪くはなかったよなあと思いつつ見てたら、抜群にエロくて素敵でした。 それだけで作品の満足度がぐーんとあがるのですから、私も現金なものです。 エロくないブラックヴァンパイアなんて存在価値なんてないとか何とか思いつつ、上機嫌で見ておりました。 元々このフィナーレはどんなに作品に不満があっても満足してしまう不思議な力があると思っているのですが、まんまと丸め込まれた気分でした。 背景に流れる血を見ながら「最高!」と思っておりました。 その後はもちろんあっと言う間にスタンディング。 大変気分良く観劇を終えることができました。
 帰り道は3月のマチネと同じように上機嫌でホテルへの道を帰りました。 薄暗い中(サマータイムで終演後でも微妙に明るい・・・)「Totale Finsternis」を何となく歌いながら、幸せをかみしめておりました。

 久しぶりに見ていて思ったのですが、私はしみじみこの作品の演出が好きです。 演出にしろセットにしろメイクにしろ、細かいところまで丁寧に作られている。 私はこの作品は基本的に台本の通りに役者が演じてくれれば失敗のない作品だと思います。 決められたとおりに動いて、決められたとおりに歌って、決められたタイミングでしゃべる(聞いていれば分かりますが、音が流れてる場合は歌うように音楽に合わせてしゃべっています)。 ただ、決められたことをやっていくだけ。 それでも役者によって、そのほんの少しのニュアンスやタイミング、表情の違いによって役の性格や作品全体のバランスが変わってくる。 なんというか、がんじがらめに決められているようで役者の個性を出す隙間はあるというか、そのバランスが好きなのだと思います。 演出はなんと言いますか、細かいところがストレスをためずに見れるなあと。 「Einladung zum Ball」でいきなり現れ消えていくクロロック、「Stäker als wir sind」のスムーズな場面転換、クロロックの骨のような指先、鏡に映らないヴァンパイア、割れた鏡・・・。 本当に細かいところが好きで、久々に見て、改めて良いと思い直したのでした。 好きなセットを見直して、役者さんの解釈の違いを感じて、好きな曲を聴いて。 多分、それだけで満足なんです、それが一番楽しいんです。 だからこの作品が好きだと、久しぶりに、改めて感じました。

 ところで、この公演は次にシュツットガルトに行きます。 チラシを見ていたら一番いい席が120ユーロとか書いてあったのは何の間違いだろうか・・・(ちなみに土曜の夜)。



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