Die Schöne und das Biest
2011/11/01
Deutsches Theater

Das BiestZsolt Homonnay
BelleMara Kékkovács
GastonKároly Peller
LefouLászló Sánta
LumiéreÁdám Bálint
Herr von UnruhOttó Magócs
Madame PottineLilla Polyák
TassiloGyörgy Méhész


 この作品は間違いなくディズニーの美女と野獣ですが、ブタペストオペレッタ劇場用の演出です。 出演者はオペレッタ劇場、言語はドイツ語です(劇評を見たら「ハンガリー訛がある」とありましたが、東洋人にはさっぱり違いが分からず)。 キャストについてはキャスト表が出ていなかったのでプログラムを見て勝手に判断しました。 ガストンだけは自信ありませんが・・・(Nemeth Attilaさんで見たかった・・・←R&Jの大公等)。 ちなみにハンガリーの方々の名前は「姓名」の順ですが、ドイツでの公演ということで「名姓」の順番で書いてあります。
 ブダペストオペレッタ劇場の作品というのはご存じの人はご存じの通り、独特です。 オリジナル作品はもちろんかっとんだものになりますし、演出が各プロダクションごとに違うロミオ&ジュリエットやモーツァルト!なんかもすごいことになります。 それだけでなく、本来世界共通であるはずのオペラ座の怪人やこの美女と野獣でさえよく知られた演出と全く違うものになっています(レミゼはすでにドイツ語圏でいくつものとんでも演出・・・もとい、独自演出があります)。 なぜオペラ座の怪人や美女と野獣さえ元の演出と違うものが許されるかは分かりませんが、とにかく私が見た美女と野獣は四季で見たものとは全く違いました(ドイツで見たものはツアー版なのか、衣装やセットに違いはありつつも、四季と同等の演出の流れを組んでいると感じました)。
 ハンガリーの演出の特徴はもうひとつ。「いやこれはさすがにおかしいだろう」と思わせてくれるだけですまなくて、最後には「この演出が世界一なんじゃないか」という気分にしてくれる中毒性。 そういう意味でこの舞台はいかにもオペレッタ劇場でした。 やっぱりオペレッタ劇場の作品は楽しくてまた見たいと思うに十分だったのですが、ここはレパートリー制(1作品は数日で、1シーズンに数回上演されている)なので、本当にスケジュールを合わせるのが大変なのです・・・。 今回はツアーということである程度連続して上演していたため、運良く見に行くことができました。
 劇場はサーカステントのような仮設劇場。 四季のキャッツシアターの方が何倍もちゃんと劇場してるのですが、エントランスが広いあたりがさすがヨーロッパの劇場です。 客席の人が皆席を立っても、そんなに劇場内がゴミゴミしている感じがしないのです。

 さて、日本の公民館だってもっとましなものを持ってるだろうと言いたくなるようなチープな赤い幕が上がるとそこにちょっと居場所なさげにたたずんでるラフな格好の人たち。 オケの人たちだったようです。 お互い居心地悪いまま幕が下りると舞台の奥から音合わせをしている音が聞こえました。 しばらくしてまたチープな幕の真ん中があいて、男の子がでてきて手を振ります。 この手の振り方がすごく素人っぽくて、日本にもっといい子役がいると頭を抱えたくなりました(オペレッタ劇場の子役はすごくうまいので、素人くさい子になっちゃったのは国境を越えちゃった関係かなと)。 その後で若い夫人(母親か小学校の先生という雰囲気)が「昔々」と話始めることで物語が始まります。 ちょっと開いた幕から野獣の姿が見えるのですがセットも衣装もチープ・・・。 文句は言うまい、2列目で50ユーロだ・・・。
 不安はまだ続きます。 幕が開いて街の風景はすべて書き割で、手で動かして移動するキャストさんたち。 スリーガールズの一人はなぜかめがね出っ歯で(ふた昔前のマンガにでてきたような雰囲気・・・)。 ガストンはマッチョと言うよりデ・・・いやなんでもない(あくまで「オペレッタ劇場」であり、実際現在もオペレッタを上演しているので、ミュージカル基準だと太めの人はまれにいらっしゃいます)。 「私こんなの見るためにミュンヘンに来たのー!?」、この日はザンクトガレンでレベッカをやっていて、そちらに行くパターンも考えていたのでちょっと泣きたかった。
 ガストンは若干あれでしたが全体的にキャストはよかったです。 ベルはイメージそのままの、勝ち気な女の子。 本の好きな女の子と言うよりは冒険小説を読みながら一緒に冒険しちゃう少年のような女の子。 好きな物のこととなると際限なくしゃべるあたり、周りの人が付いていけないと距離を置いてしまうのが分かるが、かわいい。 ガストンに毛糸玉持たせて自分が彼の周りをスキップで回って、ぐるぐる巻きにしちゃうあたりの勢いがまたかわいい〜〜。 ちなみにガストンからのプロポーズのシーンでずっと洗濯物を干してました。 洗濯物を干すためのロープを舞台のはしに結びつけて持ち上げるときガストンがそのロープをまたいでるのは世界共通のお約束(笑)。 ちなみに洗濯物はルフウが駆け込んできたときに全部落ちました・・・お約束・・・! モリースもいかにもベルのお父さんという、ちょっと変わってるけど雰囲気のいい人。 二人のシーンでちょっとだけダンスに興じるあたり、とても仲のいい親子。 ルフウは、すごくうまかったです。 ルフウと言うより、道化かな。 日本ではあまり見かけないですが、海外のバレエの来日公演なんかにでてくる「道化」そのもの。 ルフウなんだけど立ち位置が道化で、この役にはそんな意味があったのかとびっくり。 多分真夏の夜の夢のパックで見たと思うんですが、歌がうまいのはもちろん身のこなしが軽い。 ダンスをやってる軽さなんですが、とにかく「道化」としてしっかり動くことにひたすら感心。 殴られてはね飛ぶという当たり前の動きも、びっくりするくらい軽やか。 そしてメイクも雰囲気も四季で見たものと全く違うのに、声だけはおんなじでびっくり。 ガストンはね、悪くないです、ルックス以外・・・。 俺様中心だけど、このあたりでは憎めない雰囲気も堂々とした歌い方もよかったです。 でも、わがままかもしれないけど、やっぱり彼はルックスもそれなりにかっこよくあってほしいな・・・。
 場面が変わって、お城のシーン。 こちらは周り盆に山谷があって、その部分がどこというわけではないけどくるくる回って人と置いてあるものが変わって場所が変わるといった感じでした。 少ない予算をうまく使ってるのが分かります。 最初に見たときはチープかと思いましたが、しばらく見てるとちゃんと森の奥の古城に見えるのが不思議。 古城なのにどこかメルヘンチックで、だけど無骨で、今思い出すとブダペストという街の雰囲気に似ていたかもしれません。 のっぽのイタリア伊達男ルミエールとチビで真面目のコグスワースのコンビ、とてもよかったです。 ルミエールの衣装を見ていると2幕で衣装が替わることはないなあと分かってしまったけど(苦笑)。 チップ(最初に出てきた男の子)がよくできたコスプレを遙かに下回る張りぼてを着て走ってきたときはずっこけたけど、ポット夫人(最初に出てきた女性)は柔らかな雰囲気と透明な声がすてきでした。 マダム・ブーシュもさすがオペレッタ劇場、雰囲気がありますし、サンバカーニバルに出てきそうな明るい雰囲気のバベットもかわいいです。 野獣もルックスは半端な作りでいまいちかわいくもかっこよくもないけど、声は厳しさの中に元来の声質の甘さがあっていい。 生オケだし悪くないです、でも、ここまで来て見るものかなあ・・・。
 そんな不安を吹き飛ばしてくれたのは酒場のシーンだったと思います。 わがままぼうやのガストンがなんかかわいく見えるし、ルフウは相変わらず道化として完璧に面白いし、ガールズはどうしようと突っ込みつつ、コミカルでかわいいことはかわいい。 ダンスシーンは全く違ってました。 ビアマグが出てくるけど、もしかして・・・と思ったらやっぱり背景にあるだけでダンスには使いませんでした(笑)。 でも、ダンサー二人で長椅子をドンと置いてちゃんと知ってる音でリズムを取ってるのが気持ちいい。 そして、細かいことを吹き飛ばすような勢い、いろいろ考えていたことがばかばかしくなるような熱さ、そう、これがハンガリーミュージカル! もう、ここが本当に楽しかった! みんなが楽しそうに踊ってる、そこがとても楽しく見えるのがある意味ハンガリーオペレッタ劇場のミュージカルの特性かもしれません。 「今日はおごりだー!ルフウの(日本語だとどうしても逆になってもったいない気がする)」とガストンが叫んだときは私もすっかり話の中に取り込まれていました。
 お城に戻って、お城の皆に背中をけ飛ばされてようやく「Bitte(お願いします)」というビーストがかわいい〜。 召使たち皆に囲まれてるその姿が、なんかみんなに愛されてるなあと思わされました (甘やされ過ぎのビーストをちょっと蚊帳の外で見るベルの姿がなんか滑稽)。 このときのベル、ちょっとビーストを下に見る感じというか、馬鹿にしてるように思えました。 どこか鼻もちならない。 ちょっとメモ書き。
 「ビー・アワ・ゲスト」も楽しかったー! 私が四季で何度も見てるのでダンスの雰囲気が違ったのでちょっと戸惑ったり、ハンガリーだったらこのあたりで火祭りなのかなと思ったりしましたが(オペレッタ劇場は無駄に火を使うのが好き)、こちらも問答無用で楽しませようという勢いがあってよかった〜。 宙返りを繰り返してこちらの顎を外しにかかるペッパーソルトに、オペレッタ劇場仕込みと思えるバベットの高音の美しさ、華やかな衣装で歌い踊る人々・・・ああ、エンターテイメントってなんて楽しい!
 ちなみにベルに食事を持ってきたビーストはベルを見つけられず、臭いをかいでベルを探しておりました(笑)。 1幕ラストはもちろん圧巻でした・・・!

 幕間になる頃には最初の不安はどこへ消えたのかと思うほど上機嫌にこの作品を楽しんでました。 でも、本当におもしろかったのは2幕でした。 しょぼいとか言っていたくせにすっかり世界に取り込まれ、また、せっかく簡単なドイツ語だからとゆっくり聞き入っていたから見慣れた作品なのに一つ一つのシーンが心にしみる。 最初の、森で狼で襲われたベルを助けようとしたビーストに襲いかかる狼を枯れ枝で撃退するベル(としか言いようが・・・)。 何度も逃げだそうとしては止まり、逃げだそうとしては引き返し、ビーストに肩を貸します。 そのとき、けむくじゃらな顔から長い毛を払い、ベルは初めてビーストの顔を見る。 ベルが初めてビーストの目を見た瞬間、ふたりの中で何かが変わったのがはっきり分かりました。 図書館は俯瞰から見る感じのつりものなのですが、これがブランコになって、そこでふたりはひとつの本を並んで読む。 なんともロマンチックな雰囲気。 このシーンのやりとりがとても印象に残っています。 ビーストは自分を「Wer(誰)」と言ったあと「Was(なに)」と言い代えている。 人間でないことの寂しさを示すように。 ベルは「変わり者」と言われてるのですが、この言葉、日本版よりもっときつい感じがしました。 「変人」くらいかな、もっと直接的でいやな言葉。 だからベルは悲しみ、ビーストは驚く。 人間でさえないビーストに対して、美しい娘ベルは「私たちは同じところがある」という。 これがどんなに尊いか、どれほどビーストの心を動かしたか。 そして晩餐会。 このシーンはベルの視点でいうと明らかに「父親以外の男性と初めて踊る」シーンでした。 1幕でモリースと踊っていたから、鈍い私でもそれにすぐ気づけた。 野次馬な召使いたち(相変わらず皆に愛されていて素敵)を追い払ってベルのために鏡に彼女の父親を映す。 その姿に驚いたベルは城を去っていく。 このとき、ビーストは「この醜い獣を忘れないでほしい」というように鏡を渡す、それを持っていればいつでもベルの美しい姿を見ることができるのに。 自分が彼女の姿を見続けることでなく、彼女が自分を忘れないことを望む。 その姿に「愛することを知った」というポット夫人の言葉が真実として響く。 絶望の中でビーストはずっと持っていたベルの白い袖を火にくべる(ハンガリーは今日も正常運転です)。 そしてベルは父親を助けるため、彼から受け取った鏡で彼を追いつめてしまう・・・。 ええ、よく知ってる話なのです、何度も見ました。 でもそれがなぜか新鮮で、とてもまっすぐ、おとぎ話でなくてもっと骨のある一つの恋物語としていちいち胸に突き刺さるんです。

 一つ思い出したのが、もう何年も前に読んだこの作品の感想です。 美女と野獣はキリスト教の考えがよく出ているという趣旨のものでした。 もう閉鎖されてしまったサイトさんなのでご紹介できないのが残念です・・・。 キリスト教は人間と獣をはっきり分ける、愛を知らないのは人間ではなく獣だからわがままな王子は野獣になった(だから本も読めない、そして愛を知ってる召使いたちは獣でなく物になった)。 そのことを思い出しました。 日本の文化は人間と獣をそこまで明確に分けませんから、ビーストのままでもかわいくていいという言葉があがってくることさえあるのです。 そういう「人間でない」という悲しさというかみじめさというのが日本人にはちょっと分かりづらい感覚で、しかしこの作品にはそれがしっかり盛り込まれているから、今までと違った印象を持ったような気がしました。 人間になれない苦しみ、人間でない獣が人間としても感情を抱く苦しみ、それが「愛せぬならば」に込められている気がしたのです。
 もうひとつ感じたのはベルの変化。 この物語の大きなテーマの一つはもちろんビーストが愛を知ることです。 しかし、この舞台ではベルも確かに変わっていった気がしました。 彼女は確かにそんなに大きな欠点があったわけではありません。 でも、2幕が進むにつれて彼女はビーストに愛を気づかせるためだけの存在でなく、彼女自身が愛を知っていく物語とも感じられました。 ビーストの瞳に優しさがあることに気付いたベルが優しくなると、ビーストも優しくなり、そしてまたベルも優しくなる。 そうして「二人」が徐々に変わっていくのがすごく素敵でした。 ベルが変わっていく物語でもあったから、「野獣」が彼女のためを思って彼女を帰したのに、彼女は自分の利己的な(父親を守るためとはいえ)理由でビーストを追い詰めてしまったことに、驚き傷ついているのが分かりました。 だからガストンたちが城への襲撃準備をするあたりのその悲鳴が、姿が、とても悲痛に映りました。

 ちょっとおもしろいと思った演出をいくつか。 ムッシュ・ダルクのシーンが小舟で渡る小島でした。 といってもセットは森のセットで、桟橋のセットと小舟が追加され、スモークがたかれているだけ。 スモークの後ろできらめくランプがどこか不気味に見える。 これだけのセットで、人里離れた、隔離された場所に見える。 これはダルクの職業を思えば妥当に思えました。 暗い雰囲気ではありつつも、桟橋から小舟が流されていったり、ガストンに突き飛ばされたルフウが川に落ちたり(顔を上げたとき口からマンガのように水を吹く芸の細かさ!)、流された小舟に川に落ちたルフウがはいあがったり、お約束も健在。 3人が小舟で退場していく姿を見ていると、こっちの方が酒場よりもいいんじゃないかと思えました。 もう一つおもしろかったのがお城への襲撃。 このシーンはディズニーでは不気味なものは滅ぼすべきだという人間の醜さを描いてると思っていましたが、こちらでは明らかに火事場泥棒・・・。 城から肖像画とか置物とか持ち去っていこうとしています。 言われてみれば、そういうことをする人がいてもおかしくないのです。 細かいところなのですが、モリースがダルクに連れて行かれそうになるとき、エリザベートを見ている方にはおなじみの白い拘束具が出てきてびっくりでした。 そして、この襲撃のシーンでダルクはそれをルフウに着せ、連れていってしまいます・・・え!?

 塔の上のガストンとビーストの対決はちょっとセットの使い方のせいで迫力減になってしまったのが残念でした。 で・・・そのあと一度引っ込んで黒い幕が下りて出てきたビーストの肩に明らかにワイヤーが・・・。 わ、私はいい大人なんで見えないふりをしていましたが、隣にいたチップよりもちびっ子の女の子は気になるのかしきりに母親に声をかけてました・・・。 ベルの「Ich liebe dich」がとっても良かったんです。 ベルがビーストを愛することがテーマになってるから、ビーストが王子に戻るまでもなくこのセリフだけで物語のクライマックスでした。 この物語って「ビーストが愛することを知り愛されるようになる」物語だと思っていたのですが「ビーストが愛することを知り、またベルも愛することを知る」物語なのだとしみじみ思いました。 しかしそのあとに始まったしょっぼいフライングがよくなかった・・・もはや私はここがどこかの体育館にしか見えない・・・いいじゃないか、フライングしなくて・・・と思う私の耳に届いた「ビリッ」というマジックテープの音・・・頑張れハンガリーミュージカル・・・少ない予算に負けるな・・・。
 今回、ビーストの役者さんは名前を聞けば誰か分かります。 甘くて品のある声を聞いたときから何となくそんな気のしていたZsolt Homonnayさん。 ロミオ&ジュリエットのパリスと言えばぴんと来る方もいるのではないでしょうか。 そうです、あの迫力のある声の方です。 ・・・声にルックスが追いついてきてない方です・・・。 野獣の毛皮の中から出てきたのはガストンより甘い顔ですが体型があまり変わらない方で・・・いいじゃん、野獣の方がかわいくて・・・(日本人ですから)。
 ラストシーンに王子は唐草模様を金色に染めあげたような何とも言いがたい上着を着ておりまして、どうつっこもうかと思ってしまいました。 けれど、この場面がなんと結婚式になっていたのです! クライマックスで悪い意味での大量のつっこみどころが出てきてしまったのですが、それを払拭する、幸せで華やかな場面でした。 モリースやお城の人たちに(街の人たちもいたかも)囲まれ、祝福されて指輪を交換する二人の姿にすっかり心満たされたのでした。

 というわけ大量のつっこみどころはありつつも、とにかく歌はいいし生オケだしおもしろい演出はあるし、なにより演技がいちいち胸に迫ってくるので、すっかり満たされて劇場をあとにしました。 ハンガリーの演出は独特でおもしろいですし、キャストも魅力的ですので、この「出稼ぎ」がどうして実施されたかはわかりませんが(モーツァルト!に次いで2回目)、またやってくれるとありがたいなあと思っています。 そして、あわよくば日本に来てくれたらなあと思っております(笑、オペレッタ劇場は数年前まで来日してくれたんですけどね・・・私がこうもりを見た年が最後になってしまいました・・・)。



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