またモーツァルト!ネタ・・・・
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ええと、見に行ってもいないのにモーツァルト!ネタ続きですみません。 ちなみに、ブダ版の感想はすでに書きあがってるんで、時間がなくてもアップできて便利なのです。 東宝版見に行く前にアップしきりたいんで、もうしばらくお付き合いください。 それはいいんですが、東宝版のプログラム。 小池さんのインタビューの最中にブダペスト版の話が出てきたんですが・・・あれ、私の記憶にあるのと違う・・・・。 2幕の曲順のことなのですが、確かブダ版はウィーン版とも東宝版とも違っていたような? 混乱してきたんで、ブダ版の公式(多分ね)ページを片手に並べてみます。 「ダンスはやめられない」まではほとんど一緒なので、そのあと。
●東宝版 ・神よ何故許される ・ウィーンからの手紙 ・ウィーンのレオポルト ・何故愛せないの? ・乾杯!ヴォルフガング ・誰が誰? ・借金の手紙 ・父への悔悟 ・星から降る金 ・フランス革命 ・「魔笛」作曲 ・ダンスはやめられない ・「魔笛」 ・レクイエムの依頼 ・モーツァルト!モーツァルト! ・モーツァルトの死
●ブダペスト版 ・誰が誰? ・神よ何故許される ・ウィーンからの手紙 ・ウィーンのレオポルト ・何故愛せないの? ・星から降る金 ・借金の手紙 ・父への悔悟 ・(新曲) ・フランス革命 ・レクイエムの依頼 ・チョッピリオツムに、チョッピリハートに ・「魔笛」作曲 ・ダンスはやめられない ・「魔笛」 ・モーツァルトの死 ・モーツァルト!モーツァルト!
ハンガリー語はもちろん、威張って言うほど読めないんですが、歌ってる人物の名前だけ頼りにして一応上記のサイトで確認。 うーん・・・・私の見たブダ版M!と小池さんが見たのは何か違うものだったのか・・・・。 それとも、演出が変わったのか・・・・。 小池さんのインタビュー、「ブダペスト版では受け継がれてる」の部分は「魔笛の成功の後レクイエムの依頼を受ける」というところにかかってると思ったんだけど、読み違いかしら? ブダ版ではレクイエムの依頼を受けてからシカネーダーと仲間たちが出てくるんですが、それがまるで夢から現実に引き戻されるような不思議な感覚があったので、ここははっきり覚えてるんです。 うーん、謎・・・。
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(2005/07/08(Fri) 00:23:24)
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そんな日
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母上がモーツァルト!に行ってました。 あちこちの感想を聞いてる限り結構面白くなってたらしいんでちょっと期待してたんですが・・・・やはりあの初演の再演だったようです。 私の観劇は8月。 全く期待しないで行ってきます。 ちなみに、私は母上同様、コロレドは他の全ての良い部分をトイレのシーンで全部破壊してると思ってます。 (母上いわく、あのシーンは「アイドルはトイレに行かないはずなのに・・・」だそうで、なんか納得)
で、プログラムを見ていたら欧州の写真を発見。 普段家で散々見てるのに、やたら新鮮に見えるのは何故なのか(笑)。 Thomasレオポルトがアマデを抱き上げてる写真、なんか見覚えがなくって一人喜ぶ。 しかしThomas、今よりでこ広くないかしら? ハンブルグ公演の写真はあまりまじめに見たことなかったけど、このコロレドはFelixかしら? なんか見覚えあるような。 それにしてもYngveヴォルフ、良い表情してるなと、しみじみ見入ってしまった。 いつか見てみたい。 Dolhaiヴォルフ、「顔は好きじゃないけど声は好き!」と思ってた昔を思い出した(笑)。
どうでもいいけど、シアターガイドでも見た小池さんのインタビューが気に入らない。 ウィーン版の演出はこうで、舞台裏ではこうなってて、こういう意味に取れたのが気に食わなかったから私はこう演出したって・・・・。 舞台ってのは、その目で見て初めて完成するんだ。 読んでる人間がその舞台を見たことがないことを前提にして、舞台裏まで語った上で否定するなんて、フェアじゃないよ。
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(2005/07/06(Wed) 23:41:21)
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東宝版モーツァルト!
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日記のストックに以下のようなものを発見。 一月半後には使えなくなるんで、ちょっとまとまってないけどのっけてみます。
いきなり、「アマデって何?」という基本問題に突っかかる(笑)。 ブダペスト版は分かったんでどうでもいいんだけど、東宝版が分からない。まあ、私の知識は初演で見たときのまま止まってるから、だから分からないのかもしれないけど・・・。アマデ+ヴォルフガング=モーツァルトだと思ったんだけど、なんか記憶がそれを裏切っていく。レクイエムを「自分ひとりの力で書く」ように言われてヴォルフガングは曲を書く。え、アマデも「自分」じゃないの?ってか、ヴォルフガングも曲書けるの?曲書ける=才能、だからアマデがそれまでずっと曲書いてたんじゃないの?このシーンの意味がさっぱり分からない。シーンは前後しますが、「Mozart」と書かれた垂れ幕をアマデとヴォルフガングが取り合う=名声を取り合うこと、とどこかで読んだ気がしますが、でも、ヴォルフガングは曲作ってないよね?何でそこで張り合うの?ラストでアマデとヴォルフガングがひとつになって死んだ・・・というのも、意味不明。観客の目には二つに見えるけど、実際は最初っからひとつじゃなかったの?最初はひとつで、それが人格と才能に別れて、でも最後に一緒に死んでひとつになって・・・ってこと?でも、なんで「死ぬ」と「ひとつ」になるの?そもそも、ヴォルフも才能(曲書く力)を持ってるとしたら、アマデとヴォルフの区切りってどこ?って言うか、どうして一人の人を二人が演じる必要があったの? と、なんか基本的なことが分からなくなってぐるぐる回ってしまってます。役者の解釈や演じ方によって違うって言うけど、アマデが「何」なのか位は答えが欲しいな。なんとなく、「難解な物語」じゃなくって、「筋の通ってない物語」に見えてしまうのよ(苦笑)。 ということは再演を見に行ったら解消するかしら?あまり期待せず、行ってきます(あ、行くのは8月です)。
ちなみに、なんとなくの印象↓ ブダ版→ふたつでひとり 東宝版→ふたりでひとり
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(2005/07/02(Sat) 01:08:43)
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