ドイツ語でモーツァルト!を見られる喜び
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ドイツ語圏で色々な作品を見てきましたが、今回のウィーンミュージカルコンサートで見たことのない作品が一つ。 それが「モーツァルト!」です。 ほかの作品はロングランを捕まえて難なく見れたのですが、「モーツァルト!」だけは近年ロングラン公演がないんです。 ウィーンは初演でやったきり、ドイツはそのあとでハンブルクでやったきり。 10周年記念コンサートやテクレンブルクの野外劇場、ミュンヘンでのブダペストオペレッタ劇場版ツアー公演はありました。 けれどどれも短期の公演だったので、それに日程をあわせて見に行くことができませんでした。 大好きなドイツ語のミュージカルですからいつかは見てみたいとあれこれ情報は探しているのですが、今のところ再演の予定はありません。 さらに公演CDも初演のコンセプト版のみで、上記のコンサート版のCDさえも出ていません。 なんかすでに幻の作品となりつつあります・・・。
そんなわけで、コンサートでさえなかなか聞けない「モーツァルト!」をドイツ語で聞けるのが、まずうれしい。 それも初演ヴォルフガングのYngveで聞けるなんてこれ以上の喜びはありません。 日本では結構初演のキャストが再演やさらにそのあとも同じ役を引き継ぐことはありますが、ドイツ語圏は公演地が変わるとキャストが一新されることも珍しくありません。 ハンブルクこそYngveヴォルフガングでしたが、10周年記念コンサートはRasmusでしたし、テクレンブルクはPatrickでした。 この先ドイツ語圏で再演があったとしても、もう一度Yngveがヴォルフガングをやることはないでしょう。 Yngveはまさにヴォルフガングという、「どこか落ち着きのない天才」なんですけど、なにせもういい年ですし、その年代にふさわしい役も評価が高いですから。 (もちろん、20周年記念コンサートならやってくれるかしらという期待はなくもないです) でも、やはり一度見てみたかったヴォルフガング、見れるなら見れるに越したことはありません!
そして曲目を見て一番うれしかったのが「Ich bin Musik」があること! これ、初演のCDに入ってないんです。 とても好きな曲なんですけど、YngveのソロCDにすら入ってません・・・。 PatrickのソロCDには入ってますが、アレンジが好きじゃないというのもあり・・・。 ハンガリー版のCDには入ってますし、そちらも十分魅力的で大好きなのですが、やっぱりせっかくのドイツ語ミュージカル、ドイツ語で聞きたいじゃないですか・・・。
というわけで、もはや「幻」ともいえるYngveの「Ich bin Musik」が聞けるのがとっても楽しみなのです。 もうすっかりおじさ・・・いえ、大人になってしまったYngveですが、昨年見た限りではまだヴォルフガングに欠かせない「永遠の子供」という部分も「ただの子供でありながら大きな才能を秘めている」という部分もちゃんと残っているように感じました。 (正直、昨年でこそそう思いましたが、もっと前に美女と野獣を見たときはヴォルフガング以外できない役者さんじゃないかと思ったほどでした) そんなわけで、舞台ところせましと暴れ回るYngveヴォルフガングに会えることを楽しみにしています。
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(2013/06/30(Sun) 21:19:55)
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独断と偏見によるウィーンミュージカルコンサート2来日キャスト紹介 その4 Annemieke van Dam
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Annemiekeについてはなにを書いても、ツアー版見た時の感想にかなわないと思いましたので、そのまま貼り付けます。
なにより、エリザベートがすばらしい、さすがタイトルロール!!!直前に台本を読んでいったのですが、イメージしたままのエリザベート!かわいい、とにかくかわいい!あんなかわいい子が目の前にいたら絶対プロポーズする、私ならそうする!エリザベートは彼女が美しくなければ歴史が変わったんじゃないかと思うくらいかわいいくらいでちょうどだと思います。そういう意味で最初からばっちりエリザベートでした。そして子供なのです、いい意味で、そして悪い意味で、そして、それがエリザベートだと思えました。ちゃんと王妃になることを教えられていたヘレネと違って、何も知らずに王宮に来てしまったエリザベート。なにも知らず、ただ目の前に現れた素敵な人だったからプロポーズを受けてしまった。「あなたが皇帝でなければよかった」そういいながら結婚式のシーンから退場して行くエリザベートがまたかわいくてかわいくて、こんな花嫁さんがいるフランツがうらやましく・・・すみません、脱線しました。だから翌日、ゾフィーに自分を捨てて王妃になることを強いられてショックを受ける。フランツは味方になってくれない。誰も味方はなく、だから「自分」というものを必死で守ろうとする。人は、誰も大人になっていくに従って「自分」を周りに合わせて生きていく。それが当たり前で、そうしなくてはいけないと思う、そういう意味でエリザベートは王妃として失格です。でも、なにも分からず大人になる階段を上ることすらできず急に生きる世界が変わってしまったエリザベートはただがむしゃらに「自分」を守ろうとする。彼女の生き方は間違ってるけど、そうして自分であり続けようとした姿が、とても理解できる「Ich gehoer nur mir」でした。エリザベートは愚かだったと思います。自分のわがままで子供を殺してしまった(初めて気付いたのですが、ハンガリーに娘を連れていく時、まだ幼いから無理だとフランツに諭されてるんですね、でも、エリザベートは聞き入れない)。美しさを武器に自分の自由を手に入れる、でも、手に入れた息子は顧みない。美しさが武器だと思っていた、でも醜く年を取った。風のように自由に生きたいと思った、けれど石のように頑なな心になってしまった。幸せになるためにはある程度要領よく自分を周りに会わせるしかなくて、「自分にうそをついてまで?」とマックスに問いかける。それでも自分に忠実に生き抜いて「私の人生を問いかけても無駄なこと、だって私は私だけのもの!」と人生を駆け抜ける様は本当に爽快でした。エリザベートがなぜ魅力的か、なぜ愛されるのか分かるエリザベートでした。Mayaさんのエリザベートだとその美しさに見惚れ、その貫禄に息をのむという感じですが、Annemikeはそのかわいらしさに心奪われ、まるで恋をしているかのようなときめきを手に入れたような気分になりました。
いや、もう、ほんとかわいかったのです。見た目が美しいのは写真を見ればわかるのですが、なんというか、それだけではなかったのです。「恋に落ちたよう」という言葉が一番しっくりきます。今は少し落ち着きましたが、本当に見終わって一年間くらいはとりつかれてるような気分でした・・・。細かい欠点もあったのかもしれませんが、恋に落ちちゃったらそんなもの見えなくなりますよね・・・。そんなわけで、彼女については「かわいかった」以外感想がありません。
Kevinがクロロック役者である以上に、エリザベート女優さんです。セカンドさんから始まり、現在はウィーン公演のファースト。それ以外は三銃士のコンスタンセやジキル&ハイドのリザ(日本版でいうところのエマ)を演じています。若くて背が高くて声も高い、そんな女優さんです。(今回来日するドイツ語圏俳優さんたちの中では最年少)
Marjanの代わりに来日するのはうれしくもあり、残念でもありました。彼女をもう一度、しかも日本で見られることはうれしい限りですが、なにせエリザベートはMayaさん一人いれば十分。しかも、彼女はウィーンミュージカルに「エリザベート」以外出演してません。Mayaさんの「エリザベート」の曲が減るのは嫌だし、でも彼女の歌は聞きたいし・・・。そんななか、ひとつ聞きたいと思っているのはMarkとの「Wenn ich tanzen will(私が踊るとき)」!Mayaさんが相手だとMateですら「勝者エリザベート」と感じてしまうところがあったので、Markだとなおさらだと思っていたのです。AnnemiekeとMarkだったら年齢的にも実力的にもつり合っています。力の拮抗した「Wenn ich tanzen will」が聞けるといいなあと思っています(Mayaさんのお相手はThomasで聞きたいなあと7,8年言ってる)。そのほか、いったいなにを歌うかさっぱり見当がつきませんが、技術はある方なのでその点について不安はありません。どんな魅力を見せてくれるのか、楽しみです。
※参考資料 ・公式サイト ・Wikipedia ・facebook
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(2013/06/23(Sun) 22:59:45)
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ジゼル(Kバレエ)(2013/06/07)
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アルブレヒト:熊川哲也 ジゼル:神戸里奈 ミルタ:白石あゆ美 ヒラリオン:スチュアート・キャシディ
東京文化会館★★★★☆ 神戸さんのジゼルがどうなるか、それが一番の肝になる公演だと思いました。そして、とても素晴らしい公演でした。 役者の成長を見ている時、まれに「化ける」という言葉を使います。それは往々にして「大きく成長した」であり、「変質した」ではないと思っています。色々な役者さんの成長を見てきましたが、基本的に「成長」とはその人が伸びている方向にさらに伸びていくことで、方向性が大きく変わることはないことが多かったように感じます。そういう意味で、今回の神戸さんの踊りはとても珍しい「変質」という意味での「化ける」という言葉を使いたくなりました。キューピットやクララを演じていたかわいらしい少女とは思えず、それはまた、ジゼルという少女が、守られている小さな存在ではなく美しい女性だったということを示しているようにも感じました。 神戸さんというと笑顔が華やかでかわいらしいという印象だったのでどういうジゼルになるかと思っていたら、ものすごく薄幸そうな少女でした。ジゼルといえば「病弱」の代名詞のようなものですが、どちらかというと生まれた時は健やかだったのに、母子家庭だし村はずれに住まなきゃいけない事情があったり、とにかく不幸で、「そのうえ」原因のわからない難病におかされ、余命幾ばくもない・・・そんな風に感じました。「病」という不幸は、彼女の持っているたくさんの不幸の、あくまでも一つに感じました。小さな村のはずれで間もなく終わるはずだった彼女の命、そんなジゼルの前に、まるで物語の中に存在するかのような貴公子が現れる・・・。ロイスとのちょっとしたやり取りやちょっとしたときめき。何気ない日常の小さな喜びが、ジゼルにとって人生の喜びそのものなんだろうと感じました。本当に幸薄そうな面差しなのですが、ロイスと一緒にいる時の微笑みがそれはそれは愛らしいのです。どこか素朴というか、薄幸だからこそのか細い感じのする弱々しさや初々しさがなんとも可愛らしく、アルブレヒトが彼女に惹かれたのも納得です。 いままで考えたこともなかったのですが、ベルトはロイスの正体を薄々感じていたのではないかと思いました。伯爵の令息とまでは思わなくとも、どこか金持ちの息子だろうと思っていた気がしました。考えてみればそこそこ人生経験を積んだ人間の目に、身のこなしの美しい青年が、まったく生活感や商売っ気を感じさせることなく田舎の村をうろうろしているのは不自然です。薄々感じていたけれど、ジゼルが笑っているから無理やり引き離さなかったのかなと思いました。バチルドとジゼルが話しているとき、ジゼルがロイスのことを「婚約したの」と言ったとき、ベルトが「またこの子は夢みたいなことを」とちょっと悲しそうに、あきれるように、でも愛しそうに笑ったのがとても印象的でした。 ジゼルという作品がつくられた時のヒラリオンの役割って「野蛮なストーカー」程度だったんじゃないかと思うのですが、時を経て現在はすっかり「近所の無骨だけど心根の温かいお兄さん」になっていますね・・・。今回もベルトとのやり取りも温かく、ベルト自身、ヒラリオンのジゼルへの愛情をほほえましく思っているように見えました。ジゼルがヒラリオンと結婚する気になったら、静かに涙を流して喜びそうです。がたいが良くて無骨で、どこか「ただものでない」雰囲気がありますし愛情表現も荒っぽいところがありますが、眼差しが優しいところがさすがだと思います(というか、無骨なのは事実だけど、荒々しいのも事実だけど、花を持っている姿も投げキスをする姿も自然というのがすごい・・・)。ジゼルにとってロイスとのやり取りが生きる喜びそのものだとしたら、ヒラリオンにとってはジゼルこそが生きる喜びそのものだったと思うのです。 ジゼル達がそんなに豊かでもなさそうな村で細々と生きている中で、まあ、アルブレヒトの生活感のないこと、能天気なこと!(笑)「王侯貴族」という言葉だけだと納得いかないところがあっても「自由気ままに生きてきたのうてんきなぼんぼん」という言い方なら至極納得のいくアルブレヒトでした(笑)。人生深いこと考えてないし、能天気に今を楽しんでいる。反応がいちいち初々しくってかわいいジゼルを気に入ったのも納得ですし、じゃあジゼルとこれからどうするかとか一切考えてない。ただ彼女がかわいくて、大好きだから村に通い詰める。それ以上のことは考えてないアルブレヒトでした。 バチルドは嫌味になりすぎない程度に高慢で、イメージにピッタリでした。ジゼルから花を受け取っても「手袋が汚れた」とばかりに顔をしかめるのもとても自然。体が弱いから踊らせないようにと懇願されても構わず、まるで小鳥をかわいがるようにジゼルを躍らせる。気まぐれで首飾りを贈るけれど手へのキスは許さない。美しくて高貴で、高慢でどこか冷たい。善人というわけでもないけど、だからといって悪人でもない。とても身分が高くそれにふさわしい教養を身につけていることも、彼女が婚約者であるがゆえにアルブレヒトが窮屈さを感じていたのも納得でした。公爵がどこか子煩悩という風情だったのも良かったです。 バチルド達に見つかった時、アルブレヒトはなにも言い返さずにすっとぼける。なにも考えてなかったから、いいわけももちろん考えてなかった。今まで見たジゼルでは、アルブレヒトはバチルドの手にキスしていたと思うのですが、口にキスをしようとしていたのでちょっとびっくりしました。手を触れることすら恥ずかしがっていたジゼルにとって、これほどショッキングなことはなく(しかもバチルドの方も戸惑うことなくとても自然)、彼女が取り乱したのも当然と思えました。まあ、人前でなにをやってるのだと思わなくもなかったですが、なにも考えてないアルブレヒトはなにも考えてないなりにその場をごまかそうと必死でしたし、バチルドはバチルドでそんな「愛されている自分」が満更でもないように思えたので、それほど不自然ではありませんでした。そして今までアルブレヒトの不実がジゼルを狂わせてしまったと思っていたのですが、今日はアルブレヒトによって永らえていたジゼルの命運が、アルブレヒトを失ったことで尽きたと感じました。それくらい、薄幸そうなジゼルだったのです。アルブレヒトが否定したのはジゼルへの愛でなく、彼女には生きる喜びそのもの。生きる喜びそのものであった時間が全て偽りだと分かったから、手から滑り落ちるようにジゼルの命は失われた。もしかしたら今までも気力だけで生きながらえていたのかもしれない、そのくらい、とても自然にジゼルは死んでしまった。そのあとのシーンを見ているとベルトにとっても、ヒラリオンにとっても、どれだけジゼルが生きる喜びを与えてくれたのか感じられます。そしてアルブレヒトも、どれだけジゼルが大切だったかようやく思い知る。男二人の醜い争いというか、基本的にアルブレヒトが一方的に悪い諍いは、さすが力の均衡がとれた二人で迫力がありました。なにが起こったかを理解するのを拒むような全力のいい争いは、心をえぐるような迫力がありました。
1幕でも感じたのですが、2幕でなお一層感じたのが神戸さんの純粋な技術力が上がっていること。軽い、とにかく軽い。どんなふりでも技術的な不安を感じないのはもちろんなのですが、動き一つ一つが空気をはらんでいて、軽い。ふわりふわりとした動き、ポワントの音のしない足さばき・・・本当にこの世ならざる存在に思えました。はじめに、神戸さんが「変質」したと書きましたが、それは1幕でも感じましたが、2幕がより顕著でした。闇に浮かぶ白い影がとても美しかった。可愛らしいのでなく、純粋に美しい。彼女は少女でなく大人の女性だと感じさせる美しさでした。すらりと細く儚いのに、でも決して折れることのないしなやかな強さを感じました。それはちょうどジゼル自身が守られるべき少女でなく、誰かを守ることのできる一人の女性であることを指し示しているように感じました。病弱な体を捨てたからなのか、それとも守ってもらえることなく守るべき存在がいるからなのか。強さを表立って主張する感じではなく、その美しさの中に決して折れない強さを持っているように感じました。守るべき小さな少女だと思っていたけれど、彼女の本質はどんなときにも負けない強さを持った大人の女性だった・・・それが今日の「ジゼル」という作品であった気がしてなりません。 アルブレヒトは最初、ジゼルに再会できたことを喜んでいる気がしました。そして本当の最後の最後に、ようやくアルブレヒトはなにが起こったか気づき、そして自分の失ったものの大きさに気付いたのだと思います。百合の花=純潔=ジゼルであることは明白で、ラストシーンでアルブレヒトが抱えていた百合の花はジゼルのことを指しているのでしょう。腕の中からゆりが一輪一輪こぼれおちていき、最後になにも残らない・・・とてもわかりやすい暗喩だと思いましたが、分かりやすいものは分かりやすいなりに感慨がありました。 とても不思議な感覚で終わりました。ジゼルの確かな強さと温かさを感じたのであと口は暗くないのですが、けれどアルブレヒトに最後に残されたのは絶望だけ。全体的に暗く終わったはずなのに、理由も分からず気持ちは沈むことはない。よく分かりませんでしたが、大変楽しかったです。
「ジゼルはお芝居」とばかりに演技面の感想を中心に並べましたが、踊りの方も満足です。しかしKバレエは恐ろしく足音がしません。1幕なんて人が飛んだりはねたりしてるのにほとんど音がいなくって、むしろもっと音を出してもいいのよと思うほど(笑)。2幕でウィリが走り去るときに足音がちょっとしたのが残念なくらい、静かでした。コールドのそろい方はもちろん新国立に負けていますが、十分そろっているといえるレベルですし、足音は本当に静かですし、哲也をのぞいても十分魅力的なバレエ団だと思いました(まあ、贔屓目が入っていることは否定しませんが)。 ミルタは本当に冷たかった。生来の冷たさというよりは、なにかつらい経験が彼女をかたくなにしていると感じさせられました。すべての男にたいする復習、彼女の心にあったのはそれだけだと思います。白石さんもどちらかというとかわいらしいイメージだったのですが、冷たく、けれど凛としていて美しかったです。 そして、Kバレエのジゼルと言えばロイヤルバレエからつれてくるベルト。相変わらず今回も外さない、すてきなベルトでした。バレエって基本すべて踊りで、歩き方さえふつうとは違います。でも彼女の動きは一挙手一投足自然で、彼女がそこにいるから舞台の空気感、秋口の肌寒い空気さえ感じられました。バレエはどうしても若者中心になってしまうからこそ、彼女のように年齢を重ねていて物語に現実味を与える存在は本当に大切だと思うのです。 ペザントのメインに橋本さんがいて一安心というかなんというか・・・。踊りの方は、最初、「伸びやかさ」が全く感じなくて頭を抱えたのですが、徐々に舞台の空気になれてきたように動きが大きくなってきた気がします。さらに若手が延びてきている中ですので、その「伸び」を感じないことが引っかかりましたが、やはり安定感はあります。ただ、主演を踊るわけでもないのに出演回数が少ないのが気になりました。踊る機会がないと伸びるものも伸びない気がするのですけどねえ・・・。 セットは一新されたんですね。1幕の時はプログラムを読んでいなかったので、微妙に感じる違和感に首をかしげていました。1幕はより一層森のうっそうとした雰囲気が強くなっていたと思います。木々やセットの重なり方に重厚感を感じました。2幕は墓地。ジゼルのセットでここまで墓地を意識させるのってあまりないのではないでしょうか。なんとなくウィリのいる場所って開けたところというイメージがあったのですが、それを尊重するとなぜジゼルのお墓がそんな辺鄙なところにあるのかということになるんですよね。違和感はぬぐえませんでしたが、アルブレヒトが花を持ってやって来ることには納得です。あと、2幕ラストの照明が印象的でした。鐘が鳴った時、空の彼方が白んでいるんですよね。それまで気付かなかったのに、確かに夜明けの気配がする。それがとても不思議でした。 決して派手な作品ではないと思います。でも、とても心にしみる、いい作品でした。ちょっと中堅層が薄いことが感じられてしまったので、中堅がいないのをいいことに若手が延びてきますように。
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(2013/06/22(Sat) 01:38:50)
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独断と偏見によるウィーンミュージカルコンサート2来日キャスト紹介 その3 Mark Seibert
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今回の来日メンバーで、ドイツ語圏一番人気は誰かと聞かれたら、私はMark Seibertと答えます。根拠はドイツ語圏のミュージカル雑誌musicalsとDaCapoの読者人気投票。ここ数年、両方の上位常連である役者は、今回来日するメンバーのなかでは彼だけです。そして、ドイツでもウィーンでも活躍し、人気が高いのも彼だけだと思います(Mayaさん、Marjan、Lukasはウィーン寄りですし、Kevin、Yngveはドイツ寄り。Annemiekeはあまりにエリザベート役者すぎてちょっとコメントしづらい)。また、ドイツ語圏の若手俳優のなかで最も表舞台というか王道というか、華やかな道をまっすぐ行っているのが彼だと思います(Lukasは舞台の仕事を最近あまりしてないし、Patrickは地方劇場中心)。 ウィーンでの最初の長期公演出演はバーバレラというカルトミュージカルだったと思いますが(たしかあまりヒットしなかったはずですが、今見るとキャストが豪華すぎて見ておけばよかったと思います・・・)、彼の名を広めたのはなんといっても「ロミオとジュリエット」のティボルトでしょう。素肌の上に胸元を見せつけるように大きく前のあいた真っ赤なジャケットを着るというのは言うまでもなく役者を選ぶ出で立ちですが、それが大変魅力的だったのが忘れがたいです。ウィーン版のティボルトはジュリエットにとってよき兄と言った風情で、舞踏会の時ジュリエットと踊ろうとするパリスの前に立ちはだかり「彼女と踊りたければ俺の許可を取ってからにしろ」とでも言いたげな姿はどこかあたたかく、またジュリエットの小さな体に比べてたくましいその出で立ちが頼もしく見えたものです。(余談ですが、ウィーン版はティボルトが純粋にジュリエットを思っていましたし、ジュリエットもお兄さんとして(つまり恋愛対象外として)慕っていたので、恋人が兄のように大切な人を殺しその罪で追放され、自分はそのことを忘れるために明日全く別の人と結婚しろと言われたら、そりゃ正気を保つ方が難しいと思うのです) その後は「アイーダ」のラダメスを経てドイツ語圏初演の「ウィキッド」のフィエロ、「マニトーの靴」というドイツ映画をミュージカル化した作品の初演キャストなどをやっていました。 そして2011年にはついにドイツ語圏ツアー版「エリザベート」で「死」(トート)を演じます。そして昨年からは同じ役をウィーンで演じています。ファンとしてはティボルトを演じてから6年、久しぶりのウィーン公演でのロングランの登場に、なんともいいがたい感慨を感じております。 コンサートはソロコンサートと「ミュージカルテノールズ」という4人ユニットのものと両方パターンがあります(Patrickも参加)。舞台だけでなくそういったコンサート活動やCDも積極的に出している印象があります。若手でありながらミュージカル関係のCDがすでに3枚もでているのがうらやましい限りです。 声とまなざしはどこまでも甘く優しいけれど、背は高く体格もがっちりしているという、ちょっと珍しいタイプの役者さんだと思います。舞台写真で見てしまうとどうしてもあちら自身が「巨人の国」なので分かりづらいのですが、縦にも横にもかーなーり大きい人であり、それなのにどこか繊細・・・ちょっと違うな、小心者・・・これも違うな・・・どこか「弱さ」を感じるのが彼のおもしろさでないかと思っています。WMC2のプロモーションにあった「甘い歌声、ワイルドなマスク」は変な日本語ですが、あながち間違いではないと思っています(笑)。
最後に、2011年のツアー版の感想がありましたのではりつけてみます。 シンプルなロックテイストの現代的な衣装で、色は黒もしくは白。 エリザベートが「死」をどのように捉えたかでその衣装の色合いが違うとはっきりしていました。「別世界」という雰囲気は、別に幽玄的でなくてはならないと定められているわけではないとはっきりとわかりました。重厚な世界観では彼のロックで激しい雰囲気が完全に「異世界」を表していました。とても男性的で、高圧的で、セクシー。Markは体格がいいのでマッチョな感じがするかと思いましたが、意外とそんな感じはしませんでした。Mateのように熱いかと思ったら熱くもない、だからといって冷たくもない。温度を感じない、だからといってほかのキャラクターと同じところにいるわけではない。存在感もはっきりしていて、彼を見るのがティボルト以来だった身の上としては、こうしてしっかり主役クラスとして存在感を発揮してくれているのがとてもうれしい〜!「死」っていう役はこれもありなんだと思わされました。私のイメージする「死」ではありませんでしたが、確かにエリザベートにつきまとう「死」の空気だと思わされました。
※参考資料 ・公式サイト ・Wikipedia ・facebook
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(2013/06/15(Sat) 01:33:45)
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女教皇2013年公演キャスト(追記)
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女教皇の2013年のキャストでそろいました。 なお、Sabrinaは公式サイトにある程度出演情報が出ておりますので、見に行かれる場合は参考にしておいたほうがいいです。
Johanna: Sabrina Weckerlin Johanna(alternierend): Sophie Berner Gerold: Mathias Edenborn Aeskulapius: Claus Dam Anastasius: Lutz Standop Mutter/ Marioza: Anke Fiedler Fulgentius/ Rabanus: Dietmar Ziegler Lothar/ Thomas: Olaf Meyer Sergius: Martin Rönnebeck Richild: Anna Müllerleile Arsenius: Frank Bahrenberg Arsenius alternierend: Andrea Pagani Vater: Bruno Grassini
ようやくキャストが全員発表されました。 今回発表されたのは主人公ヨハンナの敵役アナスタシウスの父親のアルセニウス役とヨハンナの父親役です。 いままでヨハンナの父親と教皇は同じ人が演じていたので、教皇が先に発表された時点でなにかあると思っていましたが、ふたりとも新キャストです。 しかも日本でもおなじみBruno Grassini! 今までスポットライトミュージカルには縁がなかったと思いますので、かなり驚いています。
参考までに、ヨハンナの父親は村の司祭です。 ヨハンナが生まれた直後に「女は罪から生まれる」と言っていたことが示すように、ヨハンナと彼女の母親の生活は常に彼の暴力におびえるものでした。 それこそ、この父親の元にこれ以上いたらヨハンナはいつか殺されると思うほどに。
・・・というわけでイメージが全く違うのですが、なにか意味があるもの・・・と期待しております。
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(2013/06/10(Mon) 22:50:31)
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ジゼル(Kバレエ)(2013/06/08)
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アルブレヒト:宮尾俊太郎 ジゼル:荒井祐子 ミルタ:井上とも美 ヒラリオン:遅沢佑介
東京文化会館 ★★★★
悪くないけれどなにかしっくりこない公演でした。全体的なレベルは高いし、見る価値のあるものだったのですが、心にそんなに残らない、のめり込めない公演でした。 その原因だったのはメインの二人。荒井さんは相変わらずの、鉄壁ともいえる美しさでした。昨日の神戸さんの踊りも安定感があってすばらしかったのですが、それを軽くしのぐ熟練の動き。なにが違うかうまくいえないのですが、二人とも安定感があって軽やかで丁寧だったのですが、やはり荒井さんはプリンシパルなのだと感じさせられました。とてもかわいらしいし、安定しているし、ジゼルの朗らかさ、無邪気さ、そしてそんな明るさを奪う病の影・・・すべてきれいに演じられていました。宮尾さんも、ずいぶんうまくなったと思いました。アルブレヒトをノーブルダンサーの役と考えると宮尾さんどころか哲也も若干しっくりないところがあるのですが、甘やかされて育った、深いことを考えない貴族のぼんぼん・・・と考えるとすごくしっくりきます。純愛・・・というほど崇高なものではなくとも、確かに本心でジゼルのことを思ってる。ジゼルも本当にロイスのことが好きだし、また、恥じらいながら彼の顔を見上げるのがとにかくかわいかった。 ・・・だけどなにかしっくりこないのです。なにかが足りない。それがなにかは残念ながら分かりませんでしたが、もうひと味、この二人ならではのものが欲しかったです。いろいろ難しい部分があってこのキャスディングになったとは思うのですが、できれば荒井&遅沢、浅川&宮尾でみてみたかったです。なんとなく、こっちの方がしっくりくると思うのです。
今回のお目当ては荒井ジゼルと遅沢ヒラリオンでしたが、遅沢さんは演技派とはいえ、なんとなくアルブレヒトの方が似合うのではないかと思っています。どちらもしっかりできてしまうキャシディさんという方がいるので、まあ、まだ未熟ということなのかもしれませんが・・・。荒々しさが不自然というか、アルブレヒトの稽古に入っているからかどこか品があるというか・・・(ここまで書いて、やっぱりキャシディさんのすごさを再認識)。やっぱりアルブレヒトタイプだよなあと思いながら見ておりましたが、見に行ってよかったです。キャシディさんが無骨でありながらジゼルに花を贈るのを投げキスするのもとても自然だったのに対し、遅沢ヒラリオンはどこかぎこちない。悪い意味でなく「ガラじゃない」とばかりに苦笑いしながらも、それでも彼女がほほえむのを思い花を贈る姿や、自分が誰かを好きななる、それもジゼルのように可憐な少女を、と幸せそうに息をつくその姿が大変ほほえましかったです。 演出の変更かとは思うのですが、昨日と同様にジゼルはヒラリオンのことを友人としてさえ慕ってないように感じました。あまりにもアピールがうっとうしすぎるのか、その存在をどちらかといえば疎ましくさえ思っているように見えました。逆にベルトはヒラリオンの存在を大変心強く思っており、ジゼルが彼と結婚してくれれば安心できるのにとさえ思っているように見えました。後者については神戸ジゼルが余命幾ばくもないように見えたのに対し荒井ジゼルは無茶をしなければ穏やかな人生を送れるように思えたので、より一層、ベルトが切実にジゼルとヒラリオンの結婚を望んでいるように思えました。 前日までにクールランド公爵をやっていた二人はアルブレヒトとヒラリオンですから誰がやるのかと思っていたら、まさかのキャシディさん。なんという贅沢・・・!キャシディさんと比べてしまうとやはり遅沢さんの公爵は「作っている」と感じられてしまう、堂々とした公爵でした。あの重そうな衣装も難なく着こなせているあたり、さすが。印象的だったのはバチルドがジゼルに首飾りを送るシーン。きっとあの首飾りはとても高価だけど、バチルドがどうしても欲しいからとねだったから渋々買ったんだろうとか、別にバチルドはそんな高価なものを送るほどジゼルを気に入ったわけでもなく、「年頃の娘の考えていることは分からん」とでも思っているようでした。いや、昔から知ってましたけど、本当にこの方すごいです・・・。 昨日からベルトのことが気になって仕方なく、今日はことあるごとに見ていましたが、やはりロイスの正体について薄々気づいている気がしました。まあ、世間一般の常識に照らしあわせれば、ロイスがジゼルと身分のつり合う存在じゃなかったことは、ちょっと考えれば確かに分かることではあります。ジゼルとロイスの間に幸せな未来はないけれど、それをそのまま言ってしまったらジゼルを傷つけるから、そしてその心の傷が彼女自身の体にさえ及んでしまうと分かっていたからこそ、そっと、そっとロイスを遠ざけようとしていたように思えました。ロイスの裏切りを知ったとき、ジゼルの驚きと嘆き悲しみに対して、ベルトはその狂乱さえ、予見できたいたように思えました。だからヒラリオンに対して、「もうこの子はおしまいだから、そっとしておいてあげて」というような態度に出たのではないかなと。確かに悲しみはあったけれど、その悲しみを知っていたように思えたのです。 ちなみに、昨日はバチルドの口にキスしようとしたアルブレヒトですが、今日はどこかひざまずくような形でキスをしていました。その姿は物語の世界の王子様とお姫様のように完成された美しさで、ジゼルの入る隙はなく、また「親愛の証」などという生やさしいものではないことがすぐに分かりました。(その後のジゼルの狂乱は悪くはなかったのですが、ジゼルがなにを失ったことに嘆いているのか、いまいち分かりづらかったのです)。
2幕、ジゼルがこういう形で別れてしまったことを嘆いているのに対し、アルブレヒトはジゼルとの再会をどちらかというと喜び、どうにかして取り戻そうとしているように感じました。悲しみより、贖罪より、今度こそ彼女を手に入れようと思っているように見えました。能天気・・・というとちょっと悪く聞こえてしまう気がするのですが、宮尾さん自身の生来の根の明るさのようなものが感じられて、とても自然に思えました。 井上さんのミルタは、こんなに美しい人だったかなと思う冷たさがありました。Kバレエのミルタには、過去、なにかあったために冷たい存在になったと感じさせる部分があるのですが、今回もやはりそれを感じます。男に裏切られたからこそ執拗にアルブレヒトを、ヒラリオンを殺そうとするわけですが、アルブレヒトをかばうジゼルを見た時、かつて自分の中にあった温かな愛情を思い出しているようにも見えました。 2幕の冒頭の演出が変わったせいか、ヒラリオンの嘆きが以前より減ってしまったのが残念でした。そして中盤になって再登場するときの演奏が鳥肌が立つほど見事で!もちろんそれまでの静かな音楽と楽譜や使われる楽器レベルで異なっているのは分かるのですが、それでも「殺す」という気迫に満ちた音楽は鳥肌が立つほど素晴らしいものでした。そしてこのシーン、アルブレヒトが結構ぎりぎりまで舞台に残っているので「すみません、人違いです、悪いのは今去っていった方です」という気分になりました(苦笑)。この間も友人と話していたのですが、「ジゼル」という作品が1世紀以上にわたって存在している弊害か、アルブレヒトには救いがあり、なにも悪いことをしていないヒラリオンは見捨てられたかのように死んでおしまいというストーリーは、なんとも後味が悪いところがあります。とはいえ、ジゼルを失ったときにまずは自分の短刀を、その後でアルブレヒトの剣を自分に向け何度も死のうとし、死にきれなかったヒラリオンが、このあと生き延びたとして、一生後悔のを抱えたまま生き続けるのが幸せだったかというと、そうとも言い切れないのが悲しいところです。ヒラリオンがウィリに死ぬまで踊らされるシーンは基本的に外れがないと思うほど好きなのですが、こちらの胸が苦しくなるような息苦しさを感じさせつつも踊り自体はきれいなのはさすが。この美しさと全体の空気の冷たさと明確な殺意という迫力。色々思うところはあれど、やはり「ジゼル」という作品の見せ場には違いないと思います。 そして夜明けが訪れ、アルブレヒトは救われる。まだアルブレヒトがジゼルを取り戻せると思っているのに対し、ジゼルは別れを確信していました。それは悲しいものなのでしょうけれど、アルブレヒトに寄り添うジゼルが余りにも暖かで包容力があったから、こちらまで救われた思いでした。アルブレヒトは夢うつつで百合(ジゼル)を抱きしめているけれど、徐々に手から滑り落ち、一輪だけ残ったとき、自分が抱きしめているのはジゼルでなく百合の花であると気づく。ようやくそのときアルブレヒトはジゼルを失ったことに気づく。これもやはり悲しいことのはずなのに、昨日はどこか絶望の色に映った空の色が、今日はどこか暖かく感じられました。理由ははっきり分かりませんが、昨日よりも暖かさを感じるラストシーンでした。
ペザントを見ていると、このバレエ団は男性が抜けてもどんどん「次」が出てくるという恐ろしい事実でしょうか・・・。残念なことに、女性はそこまでそれを感じないのですよね。中堅層が足りてないのは男性も女性も同じはずなのですが。西野さん、井澤さん、池本さん、すばらしいです。みなさんすばらしくて、誰を見ていいか分からないほどに。池本さんは大好きで今日も好調でとてもうれしく見ていました。背中が柔らかく、アラベスクやグランジュッテが本当にきれいなのが好きなのです。西野さんは王子を経たせいか、踊りが堂々としてきた気がします。いかにもバレエをやっている青年にふさわしい清々しい笑顔ですので、願わくば引き続き王子をやっていただきたいです(見たい)。ちなみに井澤さんは悪かったのではなく、目が忙しくって観察するほど見れなかったのが残念です・・・。白石さんはとてもよかったのですが、昨日のミルタが驚くほどよかったので、今日はどちらかというと予想の範囲内でした(と贅沢を言ってみる)。中村さんは一時本当にかわいらしくって目の保養だったのですが、最近はそこまで目がいかず・・・。実力は間違いなくある方なので、がんばっていただきたいです(本当にこのバレエ団女性が足りない・・・)。
なんだかんだ言ってしまっていますが、とても楽しい公演だったのは確かです。オーチャードでの公演にも足を運ぶ予定ですので、皆様怪我をせず戻ってきていただきたいなあと思っております。
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(2013/06/09(Sun) 22:54:42)
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